FNNでは「戦後80年 いま、平和ですか」と題し、平和の現在地を探るキャンペーンを展開しています。
天皇皇后両陛下は、19日から被爆地・広島を訪問されます。
両陛下との懇談に臨む93歳の男性の葛藤に迫ります。
原爆で犠牲となった旧制中学の生徒や職員369人を追悼する慰霊碑の前でたたずむ才木幹夫さん(93)。
被爆者・才木幹夫さん:
ここに来るたびに“申し訳ない”という気持ちがわく。
1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾は広島の街を焼き尽くしました。
1945年12月末までに亡くなった人は14万人に上ります。
当時13歳の才木さんは、爆心地から2.2km離れた自宅で被爆。
本来なら爆心地近くで学徒動員作業にあたる予定でした。
被爆者・才木幹夫さん:
作業するはずだったのが、6日が休みで助かった。
作業に出た下級生のほとんどは亡くなりました。
被爆者・才木幹夫さん:
なんで僕が生きてるんだろうと思うことがある。生きているつらさがある。
「生きているつらさ」に苦しみ、戦後78年間、あの日のことを語ることはありませんでした。
しかし、ロシアによるウクライナ侵攻が才木さんを突き動かしました。
被爆者・才木幹夫さん:
核を脅しに戦争をしているのはいけないと思って、これは(証言を)やらなければならない。
2024年、79年の時を経て、語り始めました。
才木さんは「被爆者たちが男女の区別が分からないぐらい大変な格好をしている。頭が真っ黒で、膨れあがって、もう目も開けられない状態」とあの日の惨状を伝えます。
語り始めた才木さんに大きな依頼が飛び込んできました。
広島を訪問される天皇皇后両陛下との懇談の場に呼ばれたのです。
被爆者・才木幹夫さん:
本当に光栄なこと。死ぬも地獄、生きるも地獄。後ろめたさをずっと背負って生きていること、被爆のそのままを伝えなければならない。
戦後80年、才木さんは今ある平和が崩れぬよう、自らの思いを両陛下に伝えるつもりです。