兄は戦地へ…100年の人生で鮮明に残る“戦争の記憶”
満面に笑みをたたえる総社市の最相縫子さん。昭和元年の前の年、大正14年2月生まれの100歳だ。人生の花盛りとなる最相さんの青春は戦争の時代だった。
戦争に召集された兄とともに写った1枚の写真を記者に見せながら、最相さんは「空襲警報が鳴ったら防空壕に避難した」と、戦時中の記憶を鮮明に語る。
昭和20年に敗戦した日本は戦後の混乱期を経て高度経済成長を遂げる。それをアピールしたのが、昭和45年に開かれた前回の大阪万博。最相さんも万博を訪れたということだが、万博のことは「昔のことだから覚えていない」。戦争の記憶とは異なり、戦後の記憶はあいまいなようだ。
