戦時中、長崎市の捕虜収容所で亡くなった外国人捕虜を悼んで10日、追悼平和祈念式が行われました。
式は捕虜を追悼する記念碑の前で行われ、オランダ人元捕虜の遺族や被爆者などおよそ90人が参列しました。
戦時中、長崎市幸町にあった「福岡俘虜収容所第14分所」には、オランダやイギリスなど外国人の捕虜が収容されていました。
オランダ人元捕虜の孫 アネッテ・スペィヤースさん
「捕虜だった祖父は非常に困難な状況下で暮らしていました。捕虜たちは栄養失調で衣服もほとんどなく、厳しい冬や暑い夏から身を守る手段もありませんでした」
収容所では100人あまりが亡くなり、このうち8人は原爆の犠牲となりました。
式にはオーストラリアやイギリスの大使館の関係者も参列し、犠牲者に花を手向けました。
元捕虜のひ孫(初めて長崎訪問)サー・スペィヤースさん
「私の曽祖父の歴史が長崎という場所にあるんだと思うと感情的にがこみ上げてくるものがありました」
主催者は今後も定期的に交流を続け、「戦争や被爆の記憶を後世につないでいきたい」としています。