TSKさんいん中央テレビとJALのコラボ企画。今回は客室乗務員でJALふるさと応援隊の鶴田萌依さんが取材しました。
登場するのは、4年前に松江市にIターンした波多野真代さん。人間国宝の紙漉きの職人、安部榮四郎氏が生前紡いだ「言葉」に魅了され、1冊の本にまとめました。
和紙の魅力、そして安部さんの魅力について取材しました。
松江市八雲町にある「安部榮四郎記念館」。
人間国宝にも認定された紙漉き職人、安部榮四郎さんが収集した紙の研究資料などを展示、生涯に渡って情熱を傾けた和紙作りの技を継承しています。
JALふるさと応援隊・鶴田萌依さん:
和紙がたくさんあって、伝統と歴史を感じる和紙の世界が広がっていますね。
波多野真代さん:
手漉き和紙は昔からあるのですが、この八雲でもずっと前から手漉き和紙が作られています。
迎えてくれたのは波多野真代さん。
安部榮四郎さんが作る和紙、そして「人」としての魅力にひかれ、その功績を後世に伝えようと活動しています。
波多野さんは兵庫県出身。
大学卒業後、15年間東京のテレビ番組制作会社で情報バラエティー番組などの制作に携わっていましたが、コロナ禍をきっかけに4年前、松江市に移住、2025年3月まで、地域おこし協力隊員として食をテーマにしたイベントなどの企画、運営に携わってきました。
その活動の中で、2023年にこの記念館で安部さんが残した和紙の世界に出会いました。
JALふるさと応援隊・鶴田萌依さん:
これが紙になるのが想像できないですね。
記念館には紙漉きの工房もあります。
実際に体験してみました。
波多野真代さん:
私もIターンで松江に3年前に来た時にこちらに連れて来ていただいて体験させてもらったので、鶴田さんにも工程を体験していただきたいと思います。
JALふるさと応援隊・鶴田萌依さん:
紙漉きは初めてです。
波多野真代さん:
(安部さんは)家業で和紙を作っていらっしゃったが、それをつなぎ令和の時代も私たちが使い続けるまで続けることが重要と言われ、紙を作るだけじゃなくたくさん言葉を残しておられる。それが『いい紙は最後まで残る』という言葉です。
安部さんが残した「出雲民藝紙」。
波多野さんは、素朴で強靭な和紙そのものにも魅力を感じましたが、より強くひかれたのは、82歳でこの世を去った安部さんが紡いだ言葉でした。
亡くなって約40年が経った今も心に響く安部さんの言葉。
和紙作りの心得から人生訓まで多岐に渡ります。
そんなたくさんの遺産の中から、波多野さんは”17の言葉”を選び、1冊の本にまとめました。
波多野真代さん:
こちらが榮四郎さんの言葉をまとめた本です。亡くなられたのは40年以上前ですけど、当時から『1000年先の自分の紙が見たい』とおっしゃっていた。1000年先に自分の紙をどうやって残すのか…どんな風に残っているか見たいと言っていたのが衝撃的で、何でそんな事を言ったのか、気になって言葉をまとめたいと思った。
JALふるさと応援隊・鶴田萌依さん:
和紙の優しい手ざわりに一つ一つの言葉に込められた思いだったり、榮四郎さんの人柄や優しさが感じられると思いました。
29ページの全てに「出雲民藝紙」を使い、シルクスクリーン技法で安部さんの言葉が印刷されています。
でき上ったのは60冊約100万円の製作費は、クラウドファンディングで調達しました。
紙の縁をあえて裁断して整えず、和紙の風合いをそのまま生かしました。
波多野真代さん:
雁皮紙(がんぴし)という1000年もつ紙です。それをあえて白紙で最後に入れました。
最後のページに使われているのは、昭和の初めごろに安部さんが漉いた和紙です。
波多野真代さん:
この本を見るだけでなく、自分が生きた証として1000年先まで残るので、自分が思う事や伝えたい事を自分の手で書いて残してもらいたいと思って、このページを用意しました。
JALふるさと応援隊・鶴田萌依さん:
私は『出会いを大切に』と書きました。ふるさと応援隊として島根に訪れたこともある先輩の助言があってのことで、榮四郎さんの人柄を知れたことも自分にとって良い出会いでした。
波多野真代さん:
良い言葉をありがとうございます。自分の言葉として残す、そのまま取って置くのではなく、まだまだ書き込んでどんどん育てていく本、書き込んでいく本にしていただきたい。
「和紙は単なる消耗品。絵や書がかかれて初めて完成品になる」。
安部さんが紡いだ言葉から伝わる紙漉きの職人として、そして人としての信念。
波多野さんは、その言葉を形にして次の時代へ渡そうとしています。