「戦争の記憶」を次の時代へ繋ぐプロジェクト「戦後80年 つなぐ」。
5日まで砺波市で開かれた「となみチューリップフェア」。その始まりには、戦後の食料がない中で、チューリップの栽培を続けた1人の青年の努力があったことをご存じでしょうか。
戦後80年、今年その「秘話」を題材にした影絵劇が上演されました。影絵を作ったのは、アメリカ人です。

300品種300万本が咲き誇ったとなみチューリップフェア。
先月22日から今月5日まで国の内外から33万人あまりが訪れました。

フェアは今年で74回目。いまでこそ多くの人に知られる富山を代表する観光イベントですが、その歴史はたった10個の球根から始まったとされています。

(今年3月の影絵劇)
「豊造はこの花に心を奪われてしまいました。どうしても花を育ててみたくなって思い切ってチューリップの球根を10個注文してみました」
今年3月、砺波のチューリップの歴史を題材にした影絵劇が初めて上演されました。

タイトルは「チューリップがやってきた」。

県内で初めてチューリップ球根を栽培し、チューリップの父と呼ばれた、故・水野豊造を題材に、県内でチューリップの栽培が盛んになった経緯が紹介されています。

制作したのはジャック・リー・ランダルさん。アメリカ出身の影絵師です。
*ジャック・リー・ランダルさん
「本当に純粋にチューリップを好きと思って一歩ずつ一歩ずつ行ったら、本人も想像できなかった結末まできた。富山の春の風景を変えた人。すごく僕は感動して、それを伝えたかった」

時代はおよそ80年前。太平洋戦争のさなか。
食料増産のため、花の栽培が制限される中、豊造はひそかに麦畑で球根を保存し、守り抜きました。
(影絵劇より)
「花を植える者は非国民だ。国を危うくする国賊だ。花などすぐに引き抜け」

「それでも豊造はチューリップをあきらめません。ほんのわずかな時間を見つけては、チューリップの世話をし続けたのです。小麦畑に隠しては育て、花が咲くとすぐに切り取って目立たないようにする。そうして球根を守ったのです」

*ジャック・リー・ランダルさん
「花というのは希望の象徴にもなる。いま、戦争のつらい、大変な中にもこれはいつまでも続くということではないと信じていたこと、これはいつか絶対に終わる。また楽しめる時期が戻ってくるということをずっと信じていて、動いていたことに感動した」
水野豊造が希望の象徴として守り抜いたチューリップ。

ランダルさんはその思いを汲み、「戦争の終結」を花や植物のタネが舞う様子で表現しました。
戦後間もない1947年、国は砺波にチューリップの研究所を設置します。

しかし、GHQの支配下で行政機関の整理統合が進められ、国の研究所を併設していた県農事試験場出町園芸分場もその対象となりました。
*チューリップ四季彩館 竹村和敏館長
「いまの砺波チューリップ公園の前身に出町園芸分場というのがあった。それが戦後の改革の中で廃止になるという話があり、それは困ったということで、政府の要人を招待して開催したのが第0回のチューリップ博覧会と言われている」
GHQの要人などを招いたチューリップ鑑賞会。美しく咲き誇る花々が感動を与え、試験場移設の話は立ち消えになったとされています。

その翌年から、チューリップフェアが始まりました。
「その出来事」をいまに伝えるのは、アメリカ人の影絵師です。

*ジャック・リー・ランダルさん
「戦争だったら、豊造さんの時のように白黒、全部麦になる。こういう風に色がついたようにできるのは平和な時にしかできない。チューリップを見ることをすごく大事にするべきだと思います」

平和への思いが込められた「チューリップの祭典」。
砺波の地で受け継がれていきます。
ジャック・リー・ランダルさんが制作した影絵は、今のところ次の公演の予定は決まっていないそうですが、機会があれば、県内の小学校などで披露したいということです。