第2次世界大戦で壮絶な地上戦が行われた「硫黄島の戦い」が終結してから、3月26日で80年となる。

1945年2月から3月にかけて、日本への本土空襲の中継地点として島を狙うアメリカ軍と、それを阻む日本軍の間で激戦となり、両軍合わせて2万8000人以上が戦死。

硫黄島で行なわれた戦没者慰霊式(2024年)
硫黄島で行なわれた戦没者慰霊式(2024年)
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亡くなった日本軍のうち半数となる1万人あまりの遺骨は今も見つかっておらず、国による収集活動が続いているほか、見つかった遺骨を遺族の元に帰すことも大きな課題となっている。

戦死した父親の最後の地「硫黄島」を訪ねて

「ここが硫黄島かって感じがしました。大きな樹木はありませんし、隠れるところも何もないところで戦ったわけだから、(地下壕に)潜るしかないのかなと思った」

こう話すのは新潟県長岡市に住む高橋春男(83)さん。

父親が硫黄島で戦死した遺族の高橋春男(83)さん
父親が硫黄島で戦死した遺族の高橋春男(83)さん

昨年、慰霊式に参加するため硫黄島を訪れた際のことについて、日本軍が玉砕に至った心境に思いをはせながら私に語ってくれた。

東京から南へ1250キロ離れた、面積29.86平方キロの小さな島、硫黄島。そこは、80年前、高橋さんの父・杵渕留吉さん(没年36歳)が懸命に戦った地だった。

父親が所属していた第三○九大隊の地下壕を訪れた高橋春男さん(2024年3月)
父親が所属していた第三○九大隊の地下壕を訪れた高橋春男さん(2024年3月)

農業を営んでいた留吉さんは1944年に陸軍に召集され、1945年3月硫黄島の戦いで戦死した。父、母、祖父母、2人の兄と7人家族だったという高橋さんは当時3歳で、父の記憶がないという。

父親が所属していた第三○九大隊の地下壕(2024年3月)
父親が所属していた第三○九大隊の地下壕(2024年3月)

留吉さんが出征する時に親族が集まって撮った集合写真では、留吉さんの横で、母に抱かれた幼い高橋さんが写っている。

出征する父親と母親に抱かれた幼い高橋春男さん
出征する父親と母親に抱かれた幼い高橋春男さん

「(戦時中の)記憶は全くありません。だから、父の記憶もありません。すぐ上の兄は、父親の応召の紙が来た時、父親があんまりにも驚いて。もう顔色が変わって、その記憶が鮮明にあるらしくて」

家族に遺骨戻らず…77年ぶりの再会

留吉さんが戦死したという連絡を受けた後も、家族のもとに遺骨は戻らなかった。

事態が動いたのは、戦争から70年以上がたった2020年。高橋さんが市の広報誌を見て、国が行っている戦没者の遺骨のDNA鑑定を知ったことがきっかけだった。

「なんとなく目に留まって、やってみようかな。そう思ったのがきっかけなんです。こういう機会があるのに、誰も迎えにいかないのはな…。そんな気持ちで鑑定してもらおうと思った。口の中に綿棒で二本ぐらい入れて、(検体を採取して)ケースに入れて送ったんです」

と当時を振り返る高橋さん。

遺骨が戻らないままだった父親・杵渕留吉さん(没年36歳)
遺骨が戻らないままだった父親・杵渕留吉さん(没年36歳)

DNA鑑定を申請した結果、2014年に硫黄島で発見された遺骨と、高橋さんの検体の間に血縁関係が認められた。

「たまげましたね、ええ!と思いました。本当に見つかると思っていませんからね。それとホッとしたって言いますかね」

そして、2021年3月、留吉さんは77年ぶりに高橋さんら家族と再会。

実際に父親の遺骨を手にした時の気持ちを率直に語ってくれた。

出征から77年ぶりに帰ってきた父親の遺骨を受け取る高橋春男さん(2021年3月)
出征から77年ぶりに帰ってきた父親の遺骨を受け取る高橋春男さん(2021年3月)

「こうぎっしりとした、重みをちょっと感じましたけどね。私が、父に対する記憶・思い出が何にもないものですから、感情がものすごくこみ上げてくるってことは、あまりなかったんですけど、それでも嬉しかったですよね。こうやって抱いてやれたし、家に連れて来られたし、良かったと思いましたね」

いまも見つからない1万人以上の遺骨 

しかし、高橋さんのようなケースばかりではない。硫黄島では5週間に及ぶ激闘の末、アメリカ軍約7000人が戦死し、日本軍は2万2000人近くが玉砕。いまでも半数となる日本軍約1万1000人の遺骨が見つかっていない。

遺骨の収集事業については、厚生労働省が現在も、海外を含む各地で実施している。硫黄島では、これまであわせて152回実施され、昨年度は66柱の遺骨が見つかった。

厚生労働省による遺骨収集の様子
厚生労働省による遺骨収集の様子

一方、日本軍の多くが、地下壕の奥に追い込まれて戦死したとみられ、火炎放射や手榴弾攻撃など激しい戦闘によって地形が変化したところもあり、捜索は容易ではない。全長18キロの地下壕は、アメリカ軍により閉鎖されたものも多く、内部の状況は不明な点が多い。

また、1944年に島民約1200人が強制疎開させられ、1968年、島がアメリカから返還されてからも火山活動などを理由に住民が戻れず、一般住民からの遺骨の情報提供がないことも収集を困難にする一因だとみられている。そして硫黄島では現在、自衛隊など一部の人しか住んでおらず交通手段も限られている。

DNA鑑定で「一人でも多くの方が帰られれば

高橋さんは島特有の事情について理解を示す一方、残された遺骨について一日も早く戻ることを願っている。

「一日も早く、一人でも多く帰していただく。80年たったけど、まだ戦後が終わっていないという感じは持っています」

筆者の取材に応じる高橋春男さん
筆者の取材に応じる高橋春男さん

さらに遺骨が見つかったとしても、その先には課題もある。遺骨を家族のもとに帰すことだ。

高橋さんのように、硫黄島で発見された遺骨のDNA鑑定で、身元が特定されたケースはこれまでに6件だけにとどまっている(DNA鑑定が開始された2003年から2023年度末まで)。

DNA鑑定で遺骨が身元特定できた杵渕留吉さん
DNA鑑定で遺骨が身元特定できた杵渕留吉さん

高橋さんは「一人でも多くの方が自分の家に帰られれば本当にいいことだと思うので、DNA鑑定を積極的にやっていただければ」と話した。

厚生労働省は遺骨と遺族の検体を照合するDNA鑑定を無料で行っていて、一人でも多くの遺骨を帰すことができるよう協力をよびかけている。

(執筆:フジテレビ社会部 中澤しーしー)

中澤しーしー
中澤しーしー

フジテレビ報道局社会部記者。現在は厚生労働省担当。
これまで司法クラブで検察庁・国税庁を担当し、東京地検特捜部が捜査する事件などを取材。
早稲田大学法学部卒業後、2020年フジテレビ入社。
趣味は映画鑑賞。