14人が死亡し、6000人以上が重軽傷を負った地下鉄サリン事件から3月20日で30年となった。当時、富士山総本部をはじめとする複数の拠点を県内にも持っていたオウム真理教。警視庁を中心に、各地の警察が様々な容疑で教団の家宅捜索に入る中、静岡県警の捜査はある警察官が行った職務質問がきっかけとなり突破口が開けた。
日本の犯罪史上最悪のテロ事件
世間を震撼させた地下鉄サリン事件。
14人が死亡、6000人以上がケガをした日本の犯罪史上最悪のテロ事件と言われている。
事件から2日後。警視庁などは教団に対する強制捜査を実施。
富士宮市にあったオウム真理教の富士山総本部にも家宅捜索が入った。

連日のように取材にあたっていたテレビ静岡の多田圭志 元記者は当時のことを今も鮮明に記憶していて、「先頭の捜査員は毒ガス検知のために鳥かごを持っていた。目に見えない化学物質のサリンがあるかもしれないという、漠然とした得体の知れない恐怖感・緊張感に包まれた現場だった」と振り返る。

静岡県警の一筋の光…きっかけは職務質問
一方、その時、静岡県警の捜査は膠着状態に陥っていた。
こうした中、富士山総本部から50キロ以上も離れた静岡市駿河区にある駐車場を舞台に事態は大きく進展する。

それは地下鉄サリン事件から約2週間後のことだった。
当時、静岡南警察署・高松交番に勤務していた勝又聖文さん(74)が1台だけワゴン車が停まっているのを見つけ、中の様子を確認すると2人がいたという。

その際、助手席の人物は寝ていたものの、ドライバーは勝又さんが会釈をした途端にハンドルの方へと顔を隠すように頭を下げた。
車内からは薬物やサリンについて記したノート
警察を避けようとする仕草に違和感を覚え、質問に対して一切答えようとしないドライバーを横目に車内を確認すると1枚の宛名シールが目に留まる。
宛名シールに熊本県波野郡波野村と記されていたからだ。
熊本県はオウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫 元死刑囚の出身地で、波野村は教団の拠点の1つだった。

ただ、偶然にも妻が熊本出身だった勝又さん。
妻の地元へと帰省した際、熊本でもオウム真理教のことが話題になっていて、話の端々で波野村の名前を耳にしていたことから「まさかこんなところに…」との思いを抱くとともに教団関係者と確信した。
このため、応援を要請すると静岡県警は2人を逮捕。
車内からは発火性のあるナトリウムなど180種類もの薬物とサリンについて記したノートが見つかった。

サリンの原料を調達したのは…
前出の多田圭志 元記者によれば、押収された薬物は強制捜査が近いことを察知した教団が施設内に保管していては問題があると判断し、車に積み込んで運び出していたものといい、後にサリンを生成する化学班の実態解明に大きく貢献したそうだ。

勝又さんは当時、捜査員から掛けられた「『これでオウムの門が開くぞ』という言葉が今も忘れられず、実感・期待感が胸に湧いてきた」と話す。
静岡県警はこの事件を端緒として、富士山総本部に加え教団の関係者が所有していたヘリポートや倉庫を捜索。

大量の薬品を押収し捜査を進めた結果、倉庫を管理していた信者がサリンの原料を調達していたことを突き止めた。
期待感以上に報復おそれ
一方、勝又さんは次第に期待感以上に報復に対する不安や恐怖が先立つようになる。
「家族に危害を加えられるのではないか…」との思いから事件後もオウム真理教や自身の関わりなどについてほとんど話すことなく、住まいを変えたほか、功績をたたえる表彰なども辞退した。
このことについて重い口を開くようになったのは2018年に教団元幹部13人の死刑が執行されてからのこと。
自身や地域の子供たち、さらにはその保護者にオウム真理教について話しても「え?」という感じだったため、「(オウム真理教による)事件が忘れ去られていってしまう」と危惧したからだ。

勝又さんは昨今社会問題となっている“闇バイト”に関する報道を目にするたび、盲目的にオウム真理教へと入信していた当時の若者たちの姿と重なると感じている。
このため、「表と裏は必ずある。表の割合は2くらいで、あとの8は裏。裏側をしっかりと見極めなければならない」と強調する。
地下鉄サリン事件から30年。
つまり、20代以下の人たちは事件の時に生まれてもいないことになる。
捜査などに関わった人が年々減る中で、記憶を記録として残していくことが必要だろう。