石川テレビは国際協力機構・JICAとともに、被災地で奮闘する外国人を追った「共創プロジェクト」企画を放送した。主人公は石川県輪島市に住むベトナム人の女性。避難所生活を乗り越え、地元住民から愛される女性に密着した。
能登半島地震で被災したベトナム人女性
ベトナム出身のグエン・ティ・ゴック・ミーさんは石川県輪島市に住んでいる。2024年元日の地震で自宅の寮が損壊し約5カ月間、避難所での生活を送った。今では町のお年寄りから「ミーちゃん」と気軽に呼ばれ、多くの人に愛されている。

避難所を出てからは市内の仮設住宅で暮らしている。「避難所は外国人が私だけだったので初めは怖かったのですが、皆さん優しくて仲良くしてくれて、たくさん助けてもらいました。とても感謝しています」

日本で一人暮らしすることを決めた理由について聞くと「ベトナム人が日本に来るのは経済的な理由であることが多いです。私の家も収入がまだ不安定なので家族のため日本に来ることを決めました」と答えた。
被災した会社の希望の光
仮設住宅で話を聞いていると職場の上司、板垣猛さんと後輩でインドネシア出身のインタンさんが訪ねてきた。ミーさんは水産物の加工などを行う輪島市の会社タマタニに水産加工の技能実習生として勤めている。加工現場ではリーダー的立ち位置でテキパキと働く。

板垣さんは「ミーさんは仕事になったらガラッと変わる。本当に頼りになる」と太鼓判をおす。被災後にも会社に留まってくれたことで、会社にとっても希望の光になっていたそうだ。

ミーさんは正月に合わせて、上司の板垣さんとともにベトナム・ダナン市に帰郷した。ダナン市はベトナム中部の主要都市で人口は約120万人だ。「久しぶり、2年ぶりだよ」

家に帰るとミーさんは夫のシンさんと抱き合った。シンさんは自宅を拠点にパソコンの修理業を営んでいる。

またミーさんの息子コア君(9)は地元の小学校に通っている。コア君も久しぶりに母親に会えて満面に笑みを浮かべていた。
ベトナムと能登をつなぐ絆
板垣さんは真剣な表情でシンさんにこう伝えた。「避難所生活は本当に大変です。だけどミーさんは皆さんのお世話を一生懸命してくれました。私の会社も被災してずいぶん悩んで考えていたところでミーさんが『私はここに残って再建のお手伝いをします』と。私はその言葉に救われました。私だけじゃなくて何百人の人たちがミーさんの笑顔に救われました」

この言葉を聞いたシンさんは「正直地震発生からの数日間は私にとっても本当につらい日々でした。ミーは避難所で唯一の外国人で困難もたくさんありました。しかし幸いにして日本の皆さんが私の妻にたくさんの愛情を注いでくれました。心から感謝しています」と握手を交わし、板垣さんの目からは涙があふれた。そして板垣さんは「ミーさんの任期が終わるまであと1年半安心して私に任せてください」と誓った。

ミーさんはベトナムで家族3人の時間を過ごし、一時帰国最終日を迎えた。コア君は「ママ行かないで」と泣きついたが、ミーさんは涙を拭いながら日本への飛行機に乗った。

能登に戻ったミーさんは「ここにいられるのはあと1年ですが、いろいろなことに参加して地元の皆さんを元気づけたいです。個人的にはスキーに行ってみたいです」と持ち前の笑顔で話した。
(石川テレビ)