2024年の全日本フェンシング選手権で日本一に輝いた安部慶輝さん。かつては国内トップレベルの選手たちと切磋琢磨(せっさたくま)していた安部さんは今、ふるさとの秋田市を拠点に世界の舞台で戦っている。練習環境とプレースタイルを変えることでトップ選手たちと肩を並べた安部さん。オリンピアンとなる日を目指して練習に励む安部さんの思いに迫る。

“憧れ”から“目標”へ

子どもたちとともにフェンシングに励む1人の男性。

この記事の画像(22枚)

出身地である秋田市を拠点に活動する安部慶輝さん(28)だ。2024年の全日本選手権で優勝し、初めて日本一の座を手にした安部さん。決勝で涙をのむ経験を経てようやく勝ち取った栄冠だ。

小学1年生の時にフェンシングを始めた安部さん。「最初はあまり面白くなかったが、小学校2~3年生ごろから徐々に勝てるようになり、そこから楽しいなと思うようになった」と振り返る。

そこからめきめきと上達した安部さんは、すぐにオリンピックが“憧れ”ではなく“目標”になった。

より高いレベルを目指して、中学3年生の時に拠点を東京に移したが、思うように結果は出なかった。一緒に練習する仲間がオリンピックや国際大会で活躍する姿を目の当たりにし、何度もくじけそうになった。

「一時期、フェンシング自体も好きじゃなくなり、やめたい気持ちもあった」と話す安部さんだが、心機一転、2024年4月にふるさと・秋田に戻った。

新たな決断をした安部さんは「やめずにこつこつとやろうと決め、もう一回フェンシングが好きになった」と話す一方で、今までトップレベルの選手と練習していたのが、秋田の小中学生としか試合ができないギャップにとても苦しんだという。

ところが、これが転機になった。

元五輪代表の父の指導を受け変化が

安部さんの指導を買って出たのは、バルセロナオリンピックのフェンシング日本代表だった父・欣哉さん。“勝負にこだわる”ことを父と話し、プレースタイルを変えることを決断した。

攻め主体のプレースタイルから、“守り主体”のプレースタイルへ。前ではなく、下がってカウンターでポイントを取るスタイルに変えた安部さんは、カウンター攻撃で持ち前のスピードが最大限生かされるようになると、全日本選手権では日本ランキング1位の東京オリンピック代表選手やパリオリンピック団体の金メダリストを次々と破り、優勝を果たした。

「勝ったときは信じられなくて、これまで様々な方々に支援してもらったので、恩返しできたのが一番うれしかった」と喜びを語る安部さん。

変化が結果に結びついたが、決して選手として恵まれた環境にいるわけではない。

平日の日中は作業療法士助手として病院に勤務。患者に寄り添い、訓練をサポートする。

そのためフェンシングの練習ができる時間は限られているが、父・欣哉さんは「ナショナルトレーニングセンターでずっと練習していた時のイメージで秋田でも練習に臨んでいるので、家族ではあるが『こんなにストイックで大丈夫かな』と思うくらいトレーニングを最優先して頑張っている」と舌を巻く。

「ことしの目標は“世界一”」

安部さんは、2024年を「良いことも悪いことも同時に起きた年で、大きな変革が起きた年だったが、その都度自分自身が成長できたという意味では実りのある一年だった」と振り返る。

現在、安部さんは日本ランキング3位。変化で得た自信を追い風に、さらなる高みを目指す。

「ことしの目標は“世界一になる”。今シーズン、まだまだW杯が続くので、そこで一つでも優勝して世界一になって、3年後のオリンピックにつなげる年にしたい」と2025年の目標を語った安部さん。

親子2代でオリンピアンに。そして一番輝くメダルを手に。
安部さんにとって勝負の1年が始まった。

(秋田テレビ)

この記事に載せきれなかった画像を一覧でご覧いただけます。 ギャラリーページはこちら(22枚)
秋田テレビ
秋田テレビ

秋田の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。