1853年の黒船来航以降、東京湾を往来する外国船舶にとって浦賀水道は危険水域となった。

地形が複雑かつ大きく屈曲し、当時はわずかな明かりしかなかったため、夜は暗闇に包まれていた。また気象も不安定だったことから、船舶の安全のために、灯台の必要性が高まっていた。

慶応2年(1866)徳川幕府はアメリカ、イギリス、フランス、オランダのとの間に燈明台建設を約束した江戸条約を締結。その条約で建設を約束された観音埼灯台は、明治元年に起工、同年12月29日竣工、そして翌2年(1869)に初点灯した。

建設には、横須賀製鉄所所長だったフランス人技師フランソワ・レオンス・ヴェルニー氏が関わった。

横須賀製鉄所で作られたレンガやフランス製レンズを用い、屋上に灯塔を備えたレンガ造りで、日本で初めての洋式灯台となった。

この洋式灯台は、大正11年(1922)4月の地震で損壊し、すぐに2代目灯台が再建されたが、同年9月の関東大震災で倒壊。現在は3代目(大正14年竣工)がその役割を担っており、観音埼灯台は、2018年で起工から150年周年を迎えた。

※FNNプライムオンラインのYouTubeチャンネル「報道カメラマンの動画」で、2021/09/15に配信されたものです。

撮影中継取材部
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