ユニークなSNSの投稿から“バズる外交官”の異名をとるジョージア大使が、30年前に子どものときに過ごした広島の保育所でのビデオを探し始めてから約1カ月。ついにビデオが見つかり、大使は家族とともに30年前の自分、そして恩師と“涙の再会”を果たした。

広島での幼少期が日本との交流の原点

黒海とカスピ海の間に位置する国、ジョージアのティムラズ・レジャバ駐日大使は、父親が広島大学の研究員だったことから、4歳で広島県西条町の保育所に通った。その発表会でジョージア語の歌をほかの園児らと歌ったことが、自分の日本との交流の“原点”と語る。

レジャバ大使のX(9月7日)
レジャバ大使のX(9月7日)
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ジョージアの家に空き巣が入り、そのビデオも盗まれたのを機に「当時、ほかに撮っていた人がいたら教えて」と9月にSNSで呼びかけた。日本に対する特別な思いが彼の心に宿るきっかけとなったのが、幼少期に広島で過ごした経験だという。

保育所同窓園児の母親 上西恵子さん
保育所同窓園児の母親 上西恵子さん

約1カ月後、大使と同窓園児の母親で広島在住の上西恵子さんが奇跡的にそのビデオを発見。東京へと届けられることになった。

ビデオを持って東京のジョージア大使館を訪れた記者を出迎えたのは、今は大使館で働く元大関・栃ノ心。大使は自宅にいるということで、そちらへ向かう。

日本語で「ジョージアの歌を歌います」

大使の自宅で奥さんと3人の娘さんとともにビデオを見ることに。

4歳の大使は日本語で「僕のふるさとジョージアの歌を歌います」と大きな声で言ったあと、ジョージア語で「蝶々」の歌をまず一人で歌い始め、それに続いて、ほかの園児らも覚えたジョージア語の歌詞で大合唱となった。30年前の大使の姿に、家族も目を細める。

感極まった大使は、「もう可能性は1%もないと思っていた。いろんな思いがこみ上げてきて、言葉にするのが難しい。協力してくださった皆さん本当にありがとうございます」と自分の原点を確認でき、満足な様子。

また、一緒にビデオを見た妻のアナさんは「日本はいつの時代も、他の国の文化に敬意を持ってくれている国で、広島でもそうだったんですね」としみじみと話し、大使の思い出の地への感謝を新たにしていた。

保育所の先生と奇跡の再会

実は今回のビデオ発掘は、取材班がまず当時の保育所の担任・渡邉芳枝さんを見つけ、同窓園児の母親の上西さんのお宅にビデオがあることが判明した。

渡邉さんは当時を振り返り、「日本語が話せない子と自分はどうしたら信頼関係が築けるかなと考えた。発表会でジョージア語で歌えたらいいかなと思ったのが最初」と大使との向き合い方を考えたことを懐かしそうに語る。

大使と渡邉さん、上西さんがリモートで30年ぶりに対面することに。画面越しに久しぶりに顔を合わせると、懐かしい記憶が一気に蘇り、大使の表情が一段と明るくなる。

「先生、見られましたよ!まさに奇跡です。上西さん、本当にありがとうございました。」と、大使は興奮気味に話し、渡邉先生らと再会できた喜びを隠しきれない。

一方の渡邉さんも「立派になりましたね。まさか、こんな風に再会できるなんて」と笑顔で応え、大使は「家族で広島に遊びに行くので、必ず会いましょう」と直接会う約束を交わした。

平和のために繋がる記憶

ビデオには、こんな場面も…。

幼い大使が「僕はジョージア代表のサッカー選手になりたい」と日本語で語る場面も残されていて、大使は恥ずかしそうに自分の幼い姿を眺めていた。

「このビデオには、私の原点が詰まっている」と語る大使は、「優しさや人を思いやる気持ちは、どれだけ時がたっても消えない。そして平和に貢献できる。それを一人の保育園の先生から教わった」と今回の奇跡の再会で、その大切さをかみしめていたようだった。

(テレビ新広島)

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