能登地方の5ヵ所を継続取材し、そこに生きる人々の暮らしや心の動きを追うシリーズ企画「ストーリーズ」
今回の舞台は輪島市門前町、高根尾。田んぼと共に生きてきた、小さな集落を見つめる。

地震と豪雨で集落は未だかつてない危機を迎えていた…

【輪島市門前町高根尾の基本メモ】
能登半島地震の前には27世帯約60人が暮らしていた小さな集落。古くからコメ作りで生計を立ててきた。地震で20世帯が全壊し、住民は仮設住宅や2次避難先でバラバラに暮らしている。田んぼにも亀裂が入るなどの被害があったが、住民は地域のつながりを保つために2024年もコメ作りをすることを決意した。農村集落の営みを『能登の人たちにとってのコメ作りとは』というテーマで見つめていく。

輪島市中根尾地区 色濃く残る能登半島地震の被害

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2024年8月。青々とした稲がなびく、美しい田園風景の中を進む取材班。
元旦の地震から8ヵ月経つが、依然として道路の状況は悪い。ふと、その奥の集落へ目を移すと、倒壊した家やがれきが積み重なっていた。

訪れたのは輪島市門前町、高根尾。この集落では、元日の地震で27世帯ある集落のうち20世帯で全壊の被害を受け、3人が命を落とした。

高根尾地区 中橋政久区長:
今回って来たところひどかったでしょ。こんな状態。正月の1月1日から一つも変わっていない。私どもの集会所ももうほとんど手つかず…いま高根尾に来ているのは緊急工事・解体の工事関係者が多い。地区の人はほとんどここには住んでいない。

かつて集落の人々が集まった集会所も、地震で傾いたまま。建物の中には集落の祭りの写真などが取り出せずに、そのままになってしまっていた。

高根尾地区に60人ほどいた住民は、現在、避難生活で離れ離れになってしまっている。
中橋さんに案内してもらった地区の神社も、地震で大きな被害を受けた。

神社に残っているのは、倒壊した鳥居や灯篭に、傾き雨ざらしになってしまっている社やしめ縄。地区での生活もままならないため、神社の再建には手が回せず、恒例の祭りは断念せざるを得なかった。

高根尾地区の田んぼを守る「仲間仕事」

8月半ば。高根尾地区の人々が各地の仮設住宅や避難先から…久しぶりに集落の田んぼに集合する。集落にはこの日、蝉の声ではなく、「カンカン」と金づちの音が響いていた。

「よいしょ!引っ張ってくれてありがとう!」
「あららららごめんごめん」
「これは向こうだったね?」
「逆や!」

気心知れた集落のメンバーは楽しげに笑いあいながら作業を続ける。みんなで取り付けていたのは、イノシシから田んぼを守るための電気柵だ。

今年はイノシシ多いのかと記者が訪ねると…

「多いみたいよ、まんで穴だらけ!そこらじゅうの畑ほじってある」
「テレビに映っとる」
「映ったっていいわいね、この黒い顔」
「これ、これ(化粧)してくりゃ良かったやろ」
「そんなもん付けたって汗でみんな取れてもうがいね!」

インタビューに答え、和気あいあいと語り合う様子から、地区の人々の仲の良さが見て取れた。
高根尾の人と話すとホッとする、と彼らは言う。

「一番気心が知れとるから。ずっと一緒におったさけ」

明るい声が田んぼに響く。皆で電気柵を張るのは楽しいですか?と、記者が訪ねると…

「なんも楽しないわいね!楽しいって言うもん誰もおらん!」
「仕方なしやなあ、仲間仕事だから」
「仲間仕事はやっぱり楽しくなくても出んと、輪が崩れてしまう」

「仲間仕事」とは、高根尾でよく聞く言葉だ。
古くから米作りで生きてきたこの集落では、田植えや稲刈りなどの農作業はみんなで助け合うものだった。
高齢化が進んだおよそ20年前からは、集落営農に切り替え「たかねをクラブ」を結成。クラブのメンバーが一丸となって地域の農業を守って来た。

中橋さん:
他の地域から言われるのは”高根尾地区は協力的でまとまってるねと聞く。この地域の田んぼは地域で守ると。そういう活動を長年やってきているので、皆さん愛着と協力は他の地区以上にあると思っている

元旦の震災を乗り越え 実りの秋

2024年9月。
集落が稲穂の黄金色に染まった頃、たかねをクラブの一大イベントがやってきた。

稲刈りだ。

この日、高根尾地区の田んぼに集まったのは地元小学校の子どもたち。この日稲刈りをする田んぼは、4月に地元の小学生と力を合わせて田植えをしたところだ。

教わりながら田植えをする子どもたち
教わりながら田植えをする子どもたち

4月の田植えに向けて、地震で亀裂が入るなどの被害を受けた地区の田んぼを、中橋さんたちは苦労して整備した。
地震でバラバラになった住民が再び、つながりを取り戻すための米作り。

高根尾地区の人々が仲間仕事で、力を合わせて育てた稲は、今年も立派に実ってくれた。

秋の実りを奪う 無情の雨

大雨の後、高根尾地区を取材した。
震災の爪痕が残りながらも、農業を通して再生していこうとしていた高根尾地区の田んぼは、大雨による農業用水の氾濫で、流木や土砂が流れ込み台無しになってしまっている。
地区の田んぼの半分は稲刈り前。せっかく豊かに実ってくれたお米も、収穫できなくなってしまった。

中橋さん:
こんな状況になっているというのは私も今初めて見るんですけど、近づかないようにしていた。ここに水路があるんですけど、泥で埋まってしまっている。土砂が入り水路が埋まり、堤防がこういう状態で…

川は増水したままで未だ茶色い水が流れている。堤防が濁流で崩れ危険な状況が続いていたため、中橋さんも田んぼのことが気がかりでありつつも近づけなかったようだ。
稲作の仲間仕事を通して深くつながりあっていた、高根尾の人間だからこそ。長年力を合わせて守り続けた田んぼが、今回の豪雨で受けた被害の大きさは、すぐには受け止めきれない。

あの日、地元の子供たちと収穫したお米はどうなってしまったのだろう…
中橋さんに聞いたところ、幸いにも子どもたちと稲を刈ったお米は、中橋さんの家の納屋にあった。2、3日前に脱穀ともみすりを終えて保管してあったため、被害を免れたそうだ。

大雨を乗り越えた新米を子供たちへ

9月30日。
豪雨から9日後。中橋さんたちは無事だったお米でおにぎりを作り、子どもたちに届けることにした。高根尾地区の女性たちが新米を大きな炊飯器で炊き、真心を込めておにぎりを握り、それを中橋さんは小学校へ届ける。

「いただきます」
「うまっ!!」
「米の質が違うと言うか…モチモチ?いつもよりモチモチ」
「自分で収穫したって思うと余計に」「最高」

自分たちで田植えをして、収穫したお米を食べ喜ぶ子供たち。
笑顔で自分たちが育てた米をもりもり食べる子供たちを見て、豪雨の影響で沈みがちだった中橋さんにも、笑顔が戻った。

中橋さん:
まだ食べる?4個目やぞ?すごい、新記録かもしれんよ

特別なおにぎりを前に、子どもたちの食欲も倍増。予定の倍に近い数を作ったが、全てなくなった。

新米を食べる会は楽しかった、と中橋さんは語る。

中橋さん:
その場の時間、1時間・2時間・3時間の間は現実から離れ、現実を忘れられる時間だから。なんとか災害のことを忘れようとしてみんな努力するけど、現実に戻るとこれは大変やな…と。

日を追うごとに見えてくる豪雨の爪痕…
高根尾をつないできた田んぼを、これからも守っていきたいという思いは変わらないが、その術が見つからない。

中橋さん:
田んぼを見る度、回る度に、この地域がどうなるのか、この田んぼがどうなるのかが気がかりでならない。これからの希望は見えない。

農業で深くつながりあってきた高根尾地区を襲った、自然災害。その被害は、高齢化が進み集落営農で力を合わせて田んぼを守ってきた地域にとって、あまりにも大きすぎた。
奥能登の地域社会や営みが再び立ち直るためには、さらなる支援が必要とされている。

(石川テレビ)

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