熊本地震で犠牲となった大学生・大和晃さんの『生きた証』として両親がつないできた米の収獲が阿蘇市で行われた。稲刈りを楽しみにしていた父・卓也さんだが、直前に病で亡くなり、家族や友人たちは卓也さんの思いを引き継ぎ、黄金色に育った稲を刈り取った。

熊本地震で犠牲の息子を探し続けた両親

9月16日、阿蘇市にある田んぼでは稲刈りが行われていた。大和忍さんは「主人が一番気にしていた稲刈りだったので、きっと安心していると思う」と話す。

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田んぼには稲刈りを見守るかのように、一人の男性の遺影が置いてあった。遺影の人物は大和卓也さん、9月4日に入院先の病院で亡くなった。66歳だった。

卓也さんと忍さんの次男・晃さんは、熊本地震の本震で南阿蘇村の阿蘇大橋付近で起きた大規模な土砂崩れに巻き込まれ、行方不明となった。

晃さんは前震で被災した熊本市の友人に水などを届け、実家の田植えを手伝いに戻る途中だった。

熊本県は二次災害の恐れがあるとして、晃さんの捜索を打ち切ったが、卓也さんと忍さんは友人などの力を借りて探し続けた。

そして、2人が見つけた手掛かりをきっかけに、熊本県が動き晃さんを家に連れて帰ることができた。

両親がつなぐ亡き息子が『生きた証し』

2人は晃さんが見つかった後も、学校などで講演を行い、家族の絆や命の大切さを伝えた。

卓也さんは中学校での講演で「皆さんにお願いしたいことがあります。両親や保護者と今まで以上に話をしてほしい」と話し、突然息子を亡くした親の思いを伝えた。

また、熊本地震が風化しないようにと、報道陣の取材にも対応しながら、亡き息子への思いを伝え続けてきた。

そんな卓也さんが大切にしていたのが、晃さんが亡くなる前にモミまきを手伝い、収穫された米だ。晃さんがモミまきを手伝った苗は、稲に育ち、黄金色に実った稲穂から、両親が種モミを作った。

この8年、晃さんが縁で出会った様々の人たちの手を借りて、息子の『生きた証し』としてつないできた。

卓也さんが待ちわびた稲刈り

2024年5月に行われた田植えで、卓也さんは「終わってホッとした。まずは植え付けができて一安心。あとは水の管理をしながら米が育って実ってくれて、収獲となったときに安心するが、まずは一安心」と話していた。

妻・忍さんは「(体が)つらい中でも田んぼの様子を見に行っていたし、入院してから稲刈りの時期が近づいてくると(田んぼは)どうなっているか、(稲刈りを)どうするかと…」と、卓也さんが稲刈りを心待ちにしていたと話す。

『晃さんの米』の稲刈りの前に熊本県を台風10号が襲った。TKUの記者が「台風がきましたが、晃くんのお米、大丈夫でしたか?」とメッセージを贈ると、「なんとか被害なく済みました。ありがとうございます」と、卓也さんから返事が返ってきていた。

この2日後、卓也さんは亡くなった。

卓也さんの遺影の前には『晃さんの米』

ことしも『晃さんの米』は無事に育ち、稲刈りに卓也さんの姿はないが、家族や友人、晃さんが引き合わせてくれた人たちの手を借りて行われた。

友人の園田浩文さんは「本人も稲刈りを楽しみにしていた。空の上から『みんな頑張っているな』と見ていると思う」と話し、小学生のときに交流があった小田恵史さんは「卓也さんに最後会えなかったが、残してくれた稲をみんなで最後に刈りたいと思い参加しました」と思いを寄せた。

忍さんは「いろんな人の手を借りて、無事に収獲できて、つなげられたかな」と話し、自宅にある遺影の前には、卓也さんが楽しみにしていた晃さんの米が供えられていた。

(テレビ熊本)

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