東日本大震災の発生直後、物流が止まった仙台で、ある書店に子供たちの行列ができた。列の先にあったのは1冊の「週刊少年ジャンプ」。震災後に発売された最新号だ。入れ替わり立ち替わり子供たちが読み、笑顔になって店を出ていく。当時はまだ余震が毎日のように続いていた。子供たちに回し読みを許可し、大きな話題となった書店が2024年8月末、閉店した。
この記事の画像(12枚)電子書籍などの流行により販売不振が続いたことによる経営難が閉店の理由だが、店主の男性はこれからも紙の本にしかできない役割があると話す。
街の小さな本屋 時代の波で閉店
仙台市青葉区にある塩川書店五橋店。書店ならではのインクの匂いを感じる店内には、漫画や文庫本など約3000冊が並ぶ。
店主の塩川祐一さん(61)は8月末で店を閉めることを決めた。電子書籍やネット販売の流行で売り上げが減り、経営が難しくなったことが理由だ。苦渋の決断だった。塩川さんは「途中で経営ができなくなったのは、時代に愛されていなかったとつくづく思う。本当はあと10年、15年続けたかった」と胸の内を語った。
父の店を継ぐ 本嫌いから本好きに
塩川書店は元々、父親の久治さんが仙台市若林区で創業した。塩川さんは長男で、店を継ぐことが決まっていた。幼少の頃から書店は身近な空間だったが、当時は本を読む時間よりも、友達と遊ぶ時間が大切だった。久治さんから「本を読め」とよく言われていて、むしろ「本は嫌い」だったという。しかし、店の運営を手伝う中で、自然と本を手に取るようになった。次第に、本は自分にとってかけがえのないものになっていった。
そんな塩川さんが一番好きな漫画は週刊少年ジャンプで連載されている「ONE PIECE」(ワンピース)だ。574話は、漫画を何十年と読んできて、初めて涙した思い出深い一話だという。「ワンピースの連載が終わったら店を閉じよう」と目標にもなっていた。
3.11直後の対応が大きな話題に
最後の営業日となった2024年8月31日は、午前中から客足が途絶えることはなかった。10年以上、月に一度は店を訪れていたという男性客は「今度からどこに行けばいい。代わりの店はない」と塩川さんに伝えた。
地域に愛される塩川書店だが、店を有名にしたエピソードがある。2011年の東日本大震災発生直後、本の入荷が止まっていたとき、塩川さんは知り合いから譲り受けた「週刊少年ジャンプ」の最新号を店に置き、子供たちが自由に読めるようにした。本来は立ち読み禁止の店。「ジャンプ読めます」と店先に張り紙までする異例の対応だった。このエピソードは新聞記事となり、ネットを通じて全国で大きな反響を呼んだ。
1冊のジャンプが起こした“奇跡”
塩川書店も地震の被害を受けた。物流が滞り、新刊や雑誌は入荷できなかったが「店を開けてほしい」という客の要望を受けて3日後には営業を再開した。譲り受けたジャンプを置き始めたのはその1週間後ぐらいだったという。塩川さんは「子供たちは震災報道や度重なる余震に恐怖を感じていた。漫画を読めば元気になると思って回し読みを考えた」と当時を振り返る。
1冊のジャンプには連日行列ができ、数百人に読まれた。子供たちはいつしか「一度読んだら20円を払う」というルールを自分たちで決め、手作りの募金箱をジャンプの横に設置した。集まったのは約4万円。塩川さんは津波で被災した小学校の被害の大きさを聞き、そこに通う児童の助けになればと、子供たちから預かった寄付全額を贈ったという。数百人に読まれたジャンプは、テープで補強が必要なほどボロボロになった。塩川さんはその1冊を「伝説のジャンプ」と誇らしげに呼ぶ。
伝説のジャンプは現在、発行元の集英社に保管され、編集者や漫画家の励みとなっているという。塩川書店の営業最終日には集英社からも大きな花が贈られた。
当時の子供たち「心の支えに」
塩川さんは売れ行きが良くなくても、さまざまな種類の児童書を店に置くようにしていた。常に子供に寄り添った書店でありたいという思いからだ。
塩川書店の近くに住む幕井成亜さん(26)も、震災直後に伝説のジャンプを読んだ一人。「心の支えになった。読んでいる間は怖いことを忘れられていた」と当時を振り返る。現在、中学校の教師をしている幕井さん。「塩川さんは地域の子供たちを元気づけるためにジャンプの回し読みを考えてくれた。次は自分が落ち込む子供たちを元気づける番。何ができるか考えていきたい」と話す。
紙の本にしかできないこと
最後の営業を終えたとき、店の前には別れを惜しむ多くの人が集まった。塩川さんには孫の律くん(6)から花束が手渡された。
「父親の代から62年。皆さまの支えがあってここまでできたと思っている」と塩川さんは感謝を口にした。そして、今後は「街の本屋が残っていけるような応援をしたい」という。電子書籍にはできないこと。子供たちの心を支えた伝説のジャンプがそうだ。
13年前、余震が続く仙台の街の本屋で、子供たちは夢中でジャンプを読み、笑顔になって帰っていった。「本は人生に寄り添い影響を与えて、ずっと一緒に人生を歩む。それは一生、形として残り続ける紙の本にしかできない」“伝説”を間近に見てきたからこそ、塩川さんは今も本の可能性を信じている。