終戦から2024年8月15日で79年。終戦間際、岩手・釜石市は2度の艦砲射撃を受け、多くの人が犠牲となった。この艦砲射撃の体験者やその家族は、戦争の悲惨さを後世に伝えようと地道な取り組みを続けている。

「釜石は火の海」艦砲射撃の記憶

岩手・大槌町に住む前川イツ子さん、94歳。艦砲射撃の記憶は今も強く胸に刻まれている。

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前川さんは「『母さん、母さん』って100回ぐらい呼んだかもしれない。みんな泣きながら呼ぶから、お互い涙がなくなるぐらい泣きました」と話す。

製鉄の街として重要な軍需工場があった釜石市は、1945年7月14日、アメリカとイギリスの連合軍艦隊による攻撃「艦砲射撃」を受けた。
同じ年の8月9日には2度目の艦砲射撃があり、少なくとも782人が犠牲となった。

砲撃の当日、当時15歳で大槌高等女学校の生徒だった前川さんは、労働力不足による学徒動員で釜石市でトンネルを掘る作業にあたっていた。

「釜石は火の海。大きな長靴を2つに折って履いていたが、それに火がついた」と当時を振り返る。前川さんはひざから下の部分にやけどを負ったが、はだしで自宅へ向かったという。

前川さんは「(艦砲射撃で)土が掘れて黒い首が300ぐらいゴロゴロしていた。母さんは生きているのかな、私たちは死ぬのかな。どうせ死ぬなら(母親と)同じところで死にたい。そういうことを考えながら走りました」と当時の思いを語った。

日中の砲撃から時間がたち、あたりが真っ暗になっても必死に大槌の自宅に向かった前川さんは、母親や知人に再会することができた。

「私たちは生きていた。母さんも生きていてよかった。本当にみんな私を見て泣いてくれた。絶対子ども、孫、ひ孫が笑って暮らす現在のような時代が続いてほしい」と前川さんは話す。

戦争があったことを子どもたちへ

前川さんの娘、佐久間良子さん(68)は、その体験談を何度も聞かせてもらってきたという。

佐久間さんは、地元の子どもたちにボランティアで読み聞かせをするグループ「颯・2000」の代表を務めている。このグループでは、2024年の市の戦没者追悼式で初めて艦砲射撃の紙芝居を朗読することになり、8月1日は準備にあたっていた。

紙芝居は当時14歳の男性の体験をもとに作られたもので、今回の朗読は、当時4歳だった浅沼和子さん(83)が担当する。
佐久間さんと浅沼さんは、より伝わりやすいようにと、読み方などを細かく確認していた。

颯・2000代表・佐久間さんは「(艦砲射撃が)あったということを身に染みて感じたという感想をもらっているので、伝わっていると感じている」と話す。

平和を願う気持ちを持ち続けてほしい

そして8月9日、戦没者追悼式が行われた。遺族などが消えることのない無念さを胸に抱えながら犠牲者を悼み、平和を願った。

浅沼さんは「忘れもしない昭和20年7月14日、釜石は1回目の艦砲射撃を受けました。砲弾がめり込む地響き。そのあとにドカーンという爆発音とともに体が跳ね上がりました。全く生きた空もありませんでした」と読み上げた。

浅沼さんは、艦砲射撃から走って逃げたことを今でも覚えているという。

「戦争は人間が引き起こすものです。絶対やってはならないことです。皆さんは平和を願う気持ちを持ち続けてください」と、浅沼さんは79年分の思いを込めて朗読した。

佐久間さんは「ものすごい悲惨さや恐怖、逃げ回った状況。本人でないとわからないが、(戦争の話を)聞いて感じ得たことだけでも伝えていかなければいけない」と思いを語った。

終戦から79年。平和な未来を築くため戦争の悲惨さを伝え続けたい。そんな強い思いを胸に、釜石で地道な取り組みが続けられている。

(岩手めんこいテレビ)

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