8月28日にはパリパラリンピックが開幕する。
水泳で東京に次ぐ、2大会連続出場を決めた、京都市出身の宇津木美都(うつぎ・みくに)選手(21)。
選手として、また一人の女性として、夢を追う姿に迫った。
■コーチも太鼓判「本番にめちゃくちゃ強い」メダル候補 水泳世界ランキング5位の宇津木美都選手

大阪体育大学で行われた、パリパラリンピックの壮行会。
水泳で大舞台にのぞむのは、宇津木美都(うつぎ・みくに)選手、大学4年生。
宇津木美都選手:ずっとワクワクしている状態が続いている。パリではメダルを取りたいという気持ちで、その目標がすごくまっすぐというか、確信に変わっているというか、早くレースが来てほしい気持ちでいっぱい。

大学1年生の時に出場した東京パラリンピックでは、100メートル平泳ぎで6位入賞。
いまの世界ランキングは5位。パリでは、メダル候補として期待されている。
笑顔がトレードマークで、大学ではムードメーカー的な存在。
卒業論文のテーマは「片腕上肢欠損の背泳ぎの泳ぎの変化」。 研究内容も水泳に関することだ。
宇津木美都選手:(パラ水泳の)研究は、めっちゃ少ないです。対象が少ないから研究しにくくて少ない。

京都市出身。いまは親元を離れ 大学の近くで一人暮らし。水泳のために、食事にも人一倍気をつかっている。
宇津木美都選手:体重制限大変なんで、1日1800から2000キロカロリーぐらい。 外食とかめっちゃしたい。食べ歩きとか。
競技の動画を見るのも日課。自宅に帰っても、考えるのは水泳のことばかりだ。
宇津木美都選手:キックのタイミングとか面白くないですか?ずっと見ていられる。本当にただ水泳が好きで見ているだけ。

水泳との出会いは3歳の時。 生まれつき右腕が短い彼女に、水泳を勧めたのはお父さんだった。
宇津木美都選手の父・秀史さん:周りと区別させたくない。『私は特別なんや』って思わせたくない。手が長い人も短い人もいるので、身長とかと一緒じゃないですか。
水泳を始めた時から、練習はずっと健常者と一緒。 中学2年生で、アジア記録を打ち立てるなど、将来を期待されていた。
当時、全国大会で日本一になった時は…。
宇津木美都選手(当時・中学2年生):お父さんに30秒切れなかったら、クビやって言われたから、そのために頑張りました」 むかしから、水泳に対する想いは人一倍でした。
大学で宇津木選手を指導する浜上洋平監督は、強さの理由はその内面にあるという。
大阪体育大学 浜上洋平監督:本番にめちゃくちゃ強い。勝負しないといけないところで、必ず力を発揮できるところが強み。レースに行くまで緊張しているように見えるんですけど、いざ本番のスタート台の前に来る時には、笑顔で手が振れるような、いいリラックスと緊張とのバランスをとりながら、レースに挑めているところが、プレッシャーに強いところ。
その精神力で、2大会連続のパラリンピック出場を決めた宇津木選手。
■「偏見が子供たちからなくなればいい」 子供に障害や夢の大切さを伝える講演活動も

実は、水泳以外に、もうひとつの夢が。
宇津木美都選手:色んな人から慕われる先生になりたい。
教師をしている両親の影響で、小学校の先生を目指している。 大学に入って、その想いがさらに強くなる出来事があった。
宇津木美都選手:教育実習に行って思ったのは、『あの先生、手がないやん』みたいな、化け物扱いじゃないけど、最初はされていた。でも1週間、2週間半ぐらいすれば触ってくるんですよ。『先生なんで手がないの?』みたいな、3週間ぐらいすれば、そのことに触れもしない。その先生がいることが当たり前になってきて。『ああいう人もいるんだ、へー』ぐらいの感じになっていった。それを見ていて、結局関わるのが一番早いんだって思って。私は教員になって、(子供たちと)関わる機会を増やしていけば、偏見が子供たちからなくなればいい。

小学校などをまわって、障害のことや、夢を持つことの大切さを伝える、講演活動もしている。
そこでもらった子供たちからのメッセージが力になる。
「講演を聞いて、障害というものの考えが変わりました」 「宇津木選手みたいにあきらめず、夢に向かってがんばろう」 「パラリンピック応援しています」

子供のころからの夢だった、パラリンピックの表彰台。
宇津木美都選手(中学3年生):世界記録の金メダルを取りたい。
メダリストになることと、小学校の先生になるというふたつの夢。 まずは、間近に迫った大舞台でひとつめの夢を叶える。
宇津木美都選手:メダルまであと一歩というところまで近づいているからこそ、メダルを獲得して、活躍できましたって報告できればいい。メダル狙いますよ、もちろん。
(関西テレビ「newsランナー」2024年8月19日放送)