8月15日で終戦から79年を迎える。悲惨な戦争体験を笑いを交えて伝える北海道出身のお笑いコンビがいる。2人が漫才に込めた思いとは。

漫才で伝える戦争の悲惨さ 原爆もテーマに

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北海道出身のお笑いコンビ「アップダウン」。漫才やコントで笑いを届ける2人。時に戦争もテーマに。

「防空壕で隠れて身を潜めていたら、どっかーん」

「大爆笑」

「違うよ」

戦争の悲惨さを伝えつつ笑いを交える大胆な手法が彼らの特徴だ。

「原爆」すらもテーマに。

「ピカっという青白い光がして、瞬きをした瞬間、その光は爆風となって、さとる少年を襲いました」

戦争をお笑いに。舞台で彼らが戦争を語るのにはある思いがあった。

戦争と笑いの融合 ネタ作りのバランス「本当に考えた」

公民館でネタ合わせをするのはお笑いコンビ「アップダウン」だ。

「(Q:いつもこういった場所で稽古を?)いつもじゃないがやるときはあるし、自宅でやるときもある」(アップダウン 竹森巧さん)

ボケを担当する北海道南部・森町出身の竹森巧さん。

「ネタ合わせ自体は2人でできる。飛行機の中でもやるときもある。音響とか合わせるときはこうやって稽古したり」(アップダウン 阿部浩貴さん)

ツッコミは札幌市出身の阿部浩貴さん。

札幌月寒高校の同級生で結成から2024年で28年。

11日後、十勝地方の幕別町での公演を控えていました。

「いらっしゃいませがエアロスミスに聞こえるコンビニの店員。エアロスミス~」(阿部さん)

数年前から舞台で戦争をテーマにした芝居を始めた。これを見た長崎の被爆2世の団体が原爆をテーマにした漫才をつくってほしいと依頼。被爆者の体験を聞き取り、生まれたのが「原爆体験伝承漫才」だ。

「(ネタづくりを)どうやってやるのって思われる。そこのバランスは本当に考えた」(竹森さん)

原爆の体験を漫才に込めて

79年前の8月6日に広島、9日には長崎に投下された原爆。その年、広島で約14万人、長崎で約7万人が亡くなった。

「茶化す笑いじゃないので」(竹森さん)

「よくバカにしていると受け取られる。我々はメッセージを届けるために笑いというものを使っているだけ。(戦時中の)時代にも笑いはあったし、一生懸命生きているから笑っていたんだろう、というのを知ってもらいたい」(阿部さん)

十勝の幕別町。戦争の悲惨さを伝えてほしいと地元の依頼を受け、原爆の漫才を披露することを決めた。

「今回は原爆をテーマにした世界初の漫才を披露したい」

「漫才ですからね笑い所では楽しんで」

「笑い所があるかどうかもわかりません」

「大問題だよ」

「防空壕で隠れて身を潜めていたらどっかーん」

「大爆笑」

「違うよ」

「空襲の中ですよ。防空壕飛び出して(違法に造った)どぶろくの所まで行く」

「証拠隠滅のためにどぶろくを飲みだす。エスプレッソか」

いよいよ原爆の話に 観客「子供にとっても良い機会」「良い試み」

笑いに包まれる会場。そして、原爆の話に。

「景色は一変していました。僕が住む町は一面炎に包まれ赤い荒波が立ち騒いでいるかのよう」

「何も残ってないのを見て初めて母や姉、家族を思い出した」

「自分が死ぬんじゃないかという不安が先に立ち、家族のことを忘れていた」

当時を生きた人たちが見た景色、感じたぬくもり、そして、悲惨さの中にもあった「笑い」。その光景が目の前に浮かび上がった。

「今の時代にあった戦争や平和の伝え方で勉強になったし、子どもにとってもいい機会」

「戦争体験をしていない年代なのに、こういう題材にした(お笑いをやるのは)すごく良い試み」(いずれも観客)

「客の空気がよかった」笑いで戦争の記憶を受け継ぐ

「客の空気がよくてメッセージを受けとってもらえた」(阿部さん)

「(当時の人たちは)いまの我々と同じような目線だと思う。(事実を)そむけないで知って、じゃあ次そうならないためにどうするかということを、みんなで考えていけたら」(竹森さん)

悲劇は二度と繰り返さない。笑いと戦争の「語り部」は次の世代に向け歴史を引き継ぐ。

北海道文化放送
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