フェンシングの男子フルーレ団体が史上初の金メダルに輝いた。世界ランク1位の日本は準決勝で地元・フランスを破り、決勝ではイタリアと対戦。9試合を行い、先に45ポイントを取るか、合計点が多いチームが勝ちとなる中、45対36でイタリアに競り勝った。
日本チームを頂点に導いたフランスの英雄エルワン・ルペシューコーチ、最初はチームとの軋轢(あつれき)があったというその指導法などについて、ロンドン大会の銀メダリスト、三宅諒さんに聞いた。
飯村一輝選手は「太田雄貴2.0」
ーー4人で獲得した金メダル、どう思う?
本当に良かったです。男子フルーレには日本のフェンシングの歴史が詰まっているので、トレーナーや栄養士さんら大勢の顔が思い浮かんで皆さんのおかげでとれた金メダルだと思いました。
ワールドカップは一度も試合に出ていなくてもメダルをもらえますが、オリンピックは出た人しかもらえません。そんな中、選手村にも入っていなかったリザーブメンバーの永野雄大選手が決勝で初めて起用され、5連続ポイントを奪い5-0で勝ちました。永野選手はその1試合に自分の人生のすべてを詰め込んで取ったポイントだと思います。
キャプテンの松山恭助選手はリオデジャネイロ五輪が終わってからチームを任され、試行錯誤しながら苦労してチームを作り上げました。そこに若手の飯村一輝選手が加わり決勝で一番重要な45ポイント目を奪う役割を託され、世代交代を感じて僕は胸が熱くなりました。まだ20歳の飯村選手は「太田雄貴2.0」のような選手で、スピード、テクニック、頭脳の全てで太田さんを上回っています。
敷根崇裕選手の序盤の攻めも自分の得意な形に持ち込めていた点で100点だったと思います。団体戦は根性論もあるので、敷根選手の活躍は日本に大きな弾みをつけたと思います。
ーー海外勢とはかなり体格差があるが?
大きい選手相手に距離を詰める技術が東京オリンピックから格段に上がったと思います。長身の選手は腕を伸ばすと剣が相手に届くので、なんとか叩いて叩いて剣を無効化させて距離を詰めていきます。相手を押し込んで距離を詰める技術が3年間で身に付いたと感じました。
コーチは元フランス代表金メダリスト
2021年の東京オリンピックでは4位に終わった日本男子フルーレ団体。表彰台を目指してコーチに招いたのは、東京大会団体を制したフランスの英雄、エルワン・ルペシュー氏だった。
ーールペシューコーチはどんな人?
東京オリンピック金メダリストのルペシュー氏をコーチに迎えるというウルトラCが実現しました。前大会までフランス代表として戦っていた選手が日本のコーチになるということは普通は考えられません。ルペシュー氏は「フランスの魂」と呼ばれるくらいフランスの精神的支柱です。その人をフランスから引き抜いて日本チームに入れてしまったので、対フランス戦では戦略的にかなり優位だったと思います。
ーーなぜルペシュー氏は日本に来た?
詳しいことはルペシュー氏に聞いてみないとわかりませんが、以前から太田雄貴さんととても仲が良く、太田さんに呼ばれてよく日本にも来ていたので、そういったところで「ユウキがいる日本だったら行っても良い」というのはあったと思います。
パッションと超実践型の指導法
フルーレで日本を悲願の金メダルに導いたルペシューコーチ。東京オリンピックではフランス代表の選手として準決勝で日本を破り金メダルを獲得した選手で、その指導法は“超実践型”で、最初はチームとの軋轢(あつれき)があったという。
ーーどういう指導法?
指導法は当然ながら超実践型です。東京オリンピックの金メダリストなので、今の日本代表選手と試合をしたら当然勝っちゃう時もあるんです。クリスマスのお楽しみ会とかで飯村くんに圧勝しているところを見ました。それくらい強いので、選手たちはより生きた剣、実践に近い剣を取り入れて戦える良い経験を得たと思います。
しかもルペシュー氏は誰よりもトレーニングをしています。彼自身がウエイトトレーニングをしてさらに強くなろうとしています。強いコーチから学べるというのは選手としてすごく大事なことなので、ルペシュー氏が強く在り続けることは選手たちに良い刺激になっているはずです。
ーーチームはすんなりとコーチを受け入れた?
正直、最初は軋轢があり、チームワークは良くなかったです。ルペシュー氏は天才なので、言うことが実践的過ぎてしまうことがあります。太田先輩と一緒に「何でそんなに強いの?」とルペシュー氏に聞いたことがありますが、その時すごく考えた末に「前に出て相手の空いているところを突けばいいんだよ」と平然と答えてました。彼には「こうやったらここが空く」というのが自然とわかるようです。
女子フルーレのコーチをやっているフランク氏はその辺をロジカルに説明していますが、ルペシュー氏は完全に “パッション”(激しい感情、情熱)なので最初の頃は選手たちは「ん?」と複雑な表情を浮かべていました。しかし回数を重ねるごとに、フランス語通訳のマリーンさんも常に横について通訳をしてくれて、ルペシュー氏の “パッション”を選手たちがちゃんと受け止められるようになり、コミュニケーションが飛躍的に上がって、チームワークに繋がったのかなと思います。
世界が日本に挑む時代に
今大会、金2、銀1、銅2の合計5つのメダルで16人のメダリストを誕生させた日本のフェンシング。三宅さんは「世界が日本に挑んでくる時代が来た」と話す。
ーー金メダルが当たり前になった?
今回5個のメダルをとりましたが、これまでは誰かが取れたら御の字でした。今大会は18人の選手を派遣して、16人のメダリストが生まれました。異常事態ですよね。5個のメダルをとった時代にフェンシングを始めた子どもたちにとっては「メダルを取るのは当たり前」というマインドが増えると思います。
ーーなぜ日本は強くなった?
5、6年前から全種目で同じ練習場になりました。それまでは1つのフロアで全部の練習が見られる環境ではなかったのですが、今はピスト(細長い試合のコート)が30個あるところで全種目が練習しています。そうすると、誰が調子良くて誰が悪いというのが他種目の選手でもわかるようになり、より切磋琢磨する要因になったと思います。
フルーレ、エペ、サーブルとそれぞれ縄張りがあり、「舐められてはいけない」といった感じで練習しているので、良い意味での “バチバチ感”が練習場にあります。日本代表の青木雄介監督も選手の育成から強化までしっかりやっていて、アンダー20の国際大会で世界一になる選手が増えています。
こうした流れはすごく重要だと思っていて、幼少期から世界でメダルを取ることが当たり前といったマインドを作ったことは日本フェンシング協会にとってすごく大事なことだと思います。今までは「僕らが世界に挑んでいた」のが、これからは「世界が僕らに挑んできちゃう時代」が来たので、そこは変わったなと思います。