15人が犠牲になった7.13水害から20年。刈谷田川が決壊した新潟県長岡市では、当時保育園児でヘリコプターで救出された男性が「命を救ってもらった」と振り返った。
20年前ヘリで救出された男性「今も鮮明に」
航空自衛隊のヘリコプターで救助される幼い子ども。
20年前の7.13水害で、中之島保育所は2m近くまで浸水し、一時、園児と保育士77人が取り残された。あれから20年…。
この記事の画像(8枚)7月13日に長岡市で開かれた追悼式典には、中之島保育所の園児だった岩本拓磨さんと佐藤寛也さん、そして当時の保育士も参列していた。
式典で岩本拓磨さんは「20年前、私は幼いながら命の危機に直面しました。中之島保育所の屋上からヘリコプターで救助され、父に抱きかかえられた瞬間だけは今も鮮明に覚えています」と挨拶。
佐藤寛也さんも「こうして社会人となり、当時どれだけの方がご尽力されていたかということ改めて感じているところでございます」と感謝の思いを述べた。
保育所襲った水害「声がけなければ今…」
刈谷田川が決壊したとき、昼寝の時間だったという中之島保育所。
当時、保育士だった石黒理恵さんは「本当にあのときは命を守ることが精一杯というか、どうなるんだろうという思いだった」と振り返る。
石黒さんなどの保育士は寝ている園児を起こし、2階に避難。園児を守ろうと多くの人が必死になった結果、77人の命が救われた。
岩本さんは、「当時の声がけがなければ、自分ももしかしたら今この場にいなかったかもしれないなと感じている。改めて感謝の気持ちを申し上げたいなと思った」と涙ぐんだ。
被害に遭った男性「本当は忘れたいけど…」
三条市でも犠牲者を悼む姿があった。
献花に訪れた女性は「友達が亡くなった。だからその人を思い浮かべながら頑張っているよという感じ」と心境を明かした。
中には、被害の様子を伝えるパネルに見入る男性も。五十嵐川が決壊し、目黒弘さんは築4年目の自宅が床上浸水したと振り返る。
「生活に必要な道具が全て水に浸かってしまった」
一時は仮設住宅に入居し、時間をかけて自宅を修繕したという目黒さん。「本当なら忘れたい。でも忘れてはいけない部分」と話す。
教訓を次世代へ「大人が伝えないと」
20年目となった今年は三条市、長岡市ともに子ども連れで追悼に訪れる人の姿が多く見られた。
子どもと来た人は「お休みだったので、せっかくだから。この子も生まれてなかったので、どんなだったかというのを一緒に改めて感じに来ようかなと」と話し、孫と献花に訪れた人は「周りの大人が伝えないと分からないことなので大事なことだと思う」と話した。
河川改修により五十嵐川と刈谷田川の安全性は高まった一方、大雨災害は年々激甚化。当時の教訓を伝え、備える続ける必要性は増している。
(NST新潟総合テレビ)