高知市の公園にあるSLが、昭和天皇が乗ったお召し列車だったことが高知さんさんテレビの取材でわかった。きっかけは高知市の住宅で見つかった古い写真。74年の時を超えて判明した歴史の1ページをひもとく。

お召し列車であることは「明らか」

物語の始まりは6月上旬。高知市に住む谷内君代さん(73)と息子の大作さん(42)が見つけた一枚の写真だった。

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君代さんは「亡くなった父の古い写真を見つけて、昭和天皇が握手をしようとしているところ(が写っていた)。父も出くわして写真を撮ったことに初めて気が付いた」と話す。

24年前、76歳で亡くなった君代さんの父・茂時さんは旧国鉄の職員。「デゴイチ」の愛称で親しまれたD51形蒸気機関車を運転していた。

谷内家で発見された1枚の写真には、蒸気機関車の前で記念撮影をする茂時さんが写っている。別の1枚には昭和天皇が写っていて、いずれも撮影された日付は不明だ。

政治学者で明治学院大学の原武史名誉教授に写真を見てもらうと、「日の丸の旗を交差している。菊の紋がある」として、お召し列車であることは「明らか」だという。

谷内家の写真の蒸気機関車は、1950年に昭和天皇が高知に来たときに乗ったお召し列車だったことがわかった。

この衝撃の事実に大作さんは「びっくり。言葉じゃ言い表せない」と話した。

昔の単なるSLと思っていたら…

大作さんの中学3年生の息子・柚樹さんは、写真を見てさらなる驚きの事実に気付いた。

柚樹さん:
見覚えがあって。調べたら、これだった

蒸気機関車のプレートに記された「C58 335」という型番が、大作さん親子がよく遊んだ高知市比島町の交通公園にある県内唯一のSLと一致した。
つまり、交通公園のSLはお召し列車だったことがわかったのだ。

この事実を交通公園の岡村和昭チーフに伝えると、「子供が遊ぶ昔の単なるSLとしか思っていなかった。まさか、そんな歴史があるものとは思いもよらなかった」と驚いていた。

交通公園を管轄する高知県の岡田竜志主幹は「交通公園に宮廷列車(お召し列車)があることは知らなくて、皆さん、一様に驚いている。全国から列車を見たいという方もいると思う。高知県としては貴重な観光資源になると思う」と期待を寄せている。

昭和天皇は戦後の復興状況を視察するため、全国各地を回った。

「高知県行幸誌」によると、昭和天皇は1950年3月21日に宿毛入りし、4泊5日で東洋町まで巡幸。22日は土讃線の四万十町・影野駅から高知駅までをお召し列車で移動した。

当時の記録映像
当時の記録映像

当時の記録映像のナレーション:
高知県に入った陛下は3月22日、高知市の奉迎場にお成り、ここでも市民4万人の盛大な歓迎を受けた。23日、半日のご休養をとった陛下はねずみ色の背広にゴム長というご軽装で浦ノ内湾の浅瀬、シラサギの磯に立たれた。生物学者天皇としてこの日、陛下は海生動物の採集に旅の疲れを癒やした。24日には黒潮とどろく室戸岬の突端に足を運ばれ、雄大な風景や珍しい海浜植物を興味深くご覧になった

思い起こされる戦争の記憶

当時、南国市で昭和天皇を歓迎した山岡きみ子さん(89)と原園愛子さん(85)に話を聞いた。山岡さんは中学2年生、原園さんは小学4年生のときだった。

戦前は天皇を直接見てはだめだったということもあり、山岡さんは天皇陛下が通るときはうつむいており、顔を見てはいなかったという。

昭和天皇と共に戦争の記憶も思い起こされる。山岡さんは、天皇陛下が来たときのことよりも、当時抱いていた貧しい思いの方が記憶に残っているという。

「兵隊さんのことを思いなさい」と言われ、はだしで学校に行っていたと話す原園さん。山岡さんも「そういう目に遭っているから戦争に負けたときはほっとした。みんな泣いているが、私ら子どもはほっとした」と、当時の心境について語った。

お召し列車の物語は次の世代へ…

お召し列車は1968年まで土讃線で活躍。1970年の交通公園の開園に合わせて旧国鉄から提供された。しかし、その後54年にわたり、お召し列車という事実は世に知られず埋もれ続けてきた。

原名誉教授によれば「その機関車が現役時代に天皇が乗った客車を引っ張ったことがある、みたいな細かい記録を展示している例はほとんどない」という。

幼い大作さんに祖父の茂時さんはよく「交通公園のSLは、おじいちゃんも運転したことがある」と聞かされていたという。

「いい思い出しかなくて」と大作さんは涙ぐみながら、祖父との記憶に思いをはせていた。

大作さんは息子2人に「僕のおじいちゃんが昔、(お召し列車を)運転していた」と伝えたいという。また、「天皇陛下が乗ったことがあるこの汽車を(見せに)、将来息子に子供ができたら、ここに遊びにつれてきてほしい」とも話した。

祖父が残した写真が、74年の時を経て孫に伝えたお召し列車の物語。新たな思い出を乗せて次の世代へと受け継がれる。

【取材後記】
「高知市の住宅でお召し列車とみられる写真が発見された」という一報から今回の取材が始まった。最も苦労したのは“お召し列車の証明”だった。

専門家は「交差する国旗と菊の紋があり、明らかにお召し列車だ」と言う。しかし、写真が撮影された日時や場所も不明で、断定するには心もとない。

「昭和天皇が高知に来た1950年に型番『C58 335』の列車に乗った」という公式な記録の確認が必要だった。しかし、県や高知市をはじめ、JRや旧国鉄職員らに取材をしても、口をそろえて「そんな資料は残っていない」と言う。

突破口になったのは、県庁に保管されていた『高知県行幸誌』だった。お召し列車の写真が掲載されていて、プレートを見ると、後ろ3桁が『335』と確認できた。しかし、前の部分は国旗に隠れて見えなかった。

残された『C58』の手がかりを求めて、当時の新聞記事を読み漁ると、お召し列車の試運転が行われたことを報じる記事の中に「お召し列車はC58機関車と客車7両で編成」という記載を見つけた。点と点がつながり、忘れられた昭和の歴史がよみがえった瞬間だった。

観光資源としての活用など、令和の時代に新たに紡がれていく“お召し列車の物語”を今後も取材していきたい。

取材:玉井新平(高知さんさんテレビアナウンサー)

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