長崎原爆の日の8月9日。
2020年も長崎市の平和公園では、原爆犠牲者を悼む平和祈念式典が営まれた。
原爆投下から75年の平和祈念式典は、新型コロナウイルスの影響で参加者の数を大幅に減らすなど規模が縮小された。

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被爆者で医師の朝長万左男さん。
朝長さんは、県内の被爆者団体の代表として式典に参列した。

新型コロナウイルスの影響で、2020年は核軍縮を話し合う国際会議などが中止になっている。
こうした中、被爆地・長崎から発信する被爆者のメッセージこそが、核兵器廃絶に向けた「地球市民」の自覚を促すことができると強く訴える。

被爆者・朝長万左男さん:
核兵器国が、核兵器を必要としている。核抑止論で、自分たちの国の安全を保とうとしている。これを無くすには、これらの国民が核兵器をなくそう、と自覚しないとだめだと思う。自覚させることができるのは、被爆地からの被爆者の体験の発信だと思う

朝長さんは元長崎大学の教授で、日赤長崎原爆病院の院長も務めた。

退任したあとは被爆者の養護施設・恵の丘長崎原爆ホームに移り、77歳になった今でも週に3回、被爆者の診療にあたっている。

75年前、2歳のときに被爆

75年前の1945年8月9日。
朝長さんが2歳のとき、爆心地から約2.5km、今の長崎市筑後町で被爆した。

被爆医師・朝長万左男さん:
1つ上の通りの角に大きな日本家屋があって、そこを借りて祖父が内科の医院をやっていた

元々家があった場所は、空襲の際の延焼を防ぐため立ち退きになり、数百メートル離れた場所に住まいを移した。
父親は軍医として海外の戦地に赴いていて、母親と、祖父の病院がある建物の2階で暮らしていて被爆した。

被爆医師・朝長万左男さん:
この一帯は大火災になって、私は2階に寝ていたが、母親が下から上がってきて僕が布団の中にいることがすぐわかって、助け出して火災が起きる直前に逃げ出した。もちろん自分の記憶は無くて、母親の記憶で話している

今も同じ場所にあり、尖塔だけが焼け残った中町教会が、当時の惨状を物語っている。

朝長さんは医師として、そして被爆者として、平和活動にも積極的に取り組んでいる。

2017年6月。朝長さんはアメリカ・ニューヨークの国連本部で行われた核兵器禁止条約の制定に向けた交渉会議で、長崎市の代表として演説し、条約の実現を訴えた。

2019年からは、被爆者団体のひとつ、県被爆者手帳友の会の会長を務めている。

長崎原爆の日に営まれる平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げる担当者を選ぶ選考委員や、長崎市長が世界に向けて発信する平和宣言文の起草委員にも、有識者の1人として名を連ねている。

原爆の影響は75年経った今も

長年にわたって被爆者に生じる放射線の影響を研究していて、原爆ホームにも施設ができた50年前から診療に訪れている。

被爆医師・朝長万左男さん:
原爆の影響が今でも被爆者の人に出ている。時々、がんが出ることがある。それから時々、血液の病気のMDSというのが出ることがある。その一部の人は白血病にまでなる

この日は9歳の時に長崎市西山で被爆した女性の診療にあたっていた。

女性:
突然ピカーと光って、もくもくと、あのきのこ雲が見えたんです、黒かったですね

被爆者の中には、8月9日が近づくにつれて体調を壊す人も多いという。

被爆医師・朝長万左男さん:
大体、7月、6月ぐらいから具合が悪くなる人が多い。それは精神的な影響と言われている。これはなかなか完全に消えることはない

「原爆は非人道兵器の極み」

さらに2020年は新型コロナウイルスの影響もある。

被爆医師・朝長万左男さん:
家族の面会の謝絶…これは皆さん、かなりこたえて。毎週見舞いに来られてたのが、できなくなって精神的に落ち込んだり

コロナと原爆には共通点があるとも感じている。

被爆医師・朝長万左男さん:
1人ひとりの地球の市民が、自分の問題として捉えないと解決できない問題だという点が共通

原爆投下から75年経って、原爆の記憶は薄れてきている。
しかし、放射線の影響は高齢化してから、がんや白血病として現れるなど、今も持続している。

被爆医師・朝長万左男さん:
原爆だけは、非人道兵器の極みですね。我々はこれをぜひ廃絶したいと思いますね。被爆者の高齢化が言われていますが、まだ70代の方も多くいらっしゃるし、あと10年くらいは活動できるんじゃないかと思っている。私自身も国際的にどんどん出ていくことを考えている

医師として、被爆者として、核兵器廃絶への強い思いを胸に抱く2020年の夏。

(テレビ長崎)

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