能登半島地震の発生から5月1日で4カ月。しかし、4カ月たっても、地震による被害の程度が未だ明らかになっていない場所がある。それが、輪島市の約50キロメートル北の日本海に浮かぶ離島・舳倉島だ。4カ月を前に、島民の集団一時帰島に同行。そこに広がっていたのは、想像以上の津波の爪痕だった。
”野鳥の楽園”舳倉島を襲った能登半島地震
この記事の画像(18枚)2024年4月27日。早朝の輪島港。続々と集まってきたのは、舳倉島の島民だ。
島民:
島民が皆で渡るというのは今回が初めて。みんな結構テンション高くなっているんじゃないですかね。どうしても皆さん家が見たいんでね。どうなっとるか、心配で…
島民は口々に、舳倉島にある家が一番心配だと話す。それは津波でやられたと聞いているからだ。
日本海の離島を襲った津波
ヘリリポート:
黄砂にけむる日本海、前方に見えてきました舳倉島です。舳倉島の港、漁港の様子をご覧いただいています。この港の周り、いくつもの船が湾の中で身動きが取れない状況になっています。
3月18日、上空から舳倉島を撮影した。そこに広がっていたのは、津波の痛々しい傷跡だ。
ヘリリポート:
これも津波によって運ばれたものと思われます。相当のがれき、そして木材などがこの家の周りに散乱しています。
海底の隆起によって船が出せず、これまで帰りたくても帰れなかった、島。島民のはやる気持ちを乗せ、午前6時、船が出航、50キロ北の舳倉島を目指した。
リポート:
船が舳倉島に到着しました。地震から4カ月、ようやく戻れた、島です。
輪島の港から約1時間40分、舳倉島に到着。冬の期間は、島にいない人もいるため、5カ月ぶりという人もいる。船を下りると島民はみな、それぞれに自分の家を目指して歩いて言った。
リポート:
ひどいですね…津波によって打ち上げられた大量のがれき、木材などが道路をふさいでしまっています。
津波被害が生々しく残る舳倉島に島民が到着
港の周辺は、元日に島を襲った津波の爪痕がそのままの状態で残っていた。漁師の東野竹夫さんは「全然、テレビで見るのとは大違いだ」と話す。東野さんの自宅を取材させてもらう事にした。
東野さん:
うわ、なんじゃこれ、ひでえな…
歩いてみて改めて分かる、島の惨状。そして…東野さんの自宅に到着した。
東野さんは、家に入ると声を失った。ひと言「あぁ、くそ、情けねえな…」と発し、涙を流していた。
家は倒壊を免れたものの、津波があらゆる家財を押し流していた。輪島市鳳至町にある家も被災した東野さん。この家が無事であることをこの4カ月間、祈っていたと言う。
東野さん:
輪島も島も、全滅やなこれ…。言葉にならんですね。大変ですよ、どうしようこれ…最後、ここが希望やったんですよね。ここさえ生きていれば島に移住できるかなと思ったけどここの家がこんなんじゃ、もう…電気も来てないし、水道もまだやしまだまだ当分、こっちに来れんですね…はあ…どうしようこれ…
津波は海女漁にも影響を…
リポート:
港から西に歩いてきたんですが、特にこの地域は津波の被害が深刻です。陸の奥にまで大量のがれき、そして割れた瓦などが打ち寄せられています。
海岸沿いで、漁具を拾う海女さん達に出会った。何をしているのか聞くと、津波で海に流されたままの、サザエやアワビを採る時に使う漁具を助け出しているという。
海女:
商売道具。救出しないとね。
舳倉島の木村清成区長は港の修復について「今年いっぱいになるか来年になるかわからないが、漁を再開したい」と話していた。小さい頃から舳倉で育ち、そこで魚を捕ってきた人たちにとっては、それが命だからだ。
(石川テレビ)