能登半島地震の発生から3カ月半。4月6日に全線で運転を再開したのと鉄道を特別な思い出見届けた女性がいた。父との思いを胸に今を見つめる女性の思いに迫る。

地震発生から3カ月あまり…のと鉄道が全線再開

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4月6日。のと鉄道が全線で運転を再開した。

一日駅長:
出発進行!

再び走りだした列車を見届けようとホームを訪れていた女性がいる。土中美紀(48)さんだ。

土中美紀さん:
やっと能登につながる道が開通するのはやっぱり嬉しいなって思う

元日の能登半島地震で亡くなった父を思い…

元日、ふるさとの輪島が大地震に見舞われ、家の中にいた父、健一郎さんが犠牲となった。

土中さん:
ここが台所で、台所のものとかもちょっとでてきて。この椅子に座ってごはん食べとったんやけど…なんか嘘みたい

当時仕事で穴水町にいた土中さん。住む家と愛する父親を同時に失った。

その後、土中さんは金沢市に避難しみなし仮設住宅で生活することを決めた。

土中さん:
「気をつけてね、大丈夫?」

慌ただしい引っ越し作業の中、土中さんはあるものを見せてくれた。

土中さん:
これ、年賀状!1日に届いたやつ。これだけかな。のと鉄道のお父さんの友達から、1月13日からカキのお店始めます、よかったら遊びにきてくださいって。昔の同僚、お父さんの後輩かな?

のと鉄道は亡くなった父、健一郎さんが最後の職場として汗を流した場所だった。

前回の地震で取材を受けた父「縁の下の力持ち」

2008年に石川テレビの取材を受けていた健一郎さん。2007年の能登半島地震では、壊れた線路を確認する保線作業員として復旧に尽力した。

土中健一郎さん(当時):
花形は運転手やけど縁の下の力持ちという影の存在、黒子的存在やね。

退職した後も、毎年かつての同僚から健一郎さん宛てに年賀状が届いていた。

土中さん:
この方にも、またちゃんと連絡して、お父さんの代わりにカキ食べにいかないと

4月6日。

記者:
おはようございます。お花持っているんですね?
土中さん:
きょうはお墓参りも、天気が良いので行って来ようかと思っています。

のと鉄道の再開を見届けようと穴水駅に向かった。

駅に着いた土中さん。会いたかった人を見つけることができた。

土中さん:
よかったら遊びに来てくださいっていうのをみて、本当は、お父さんも行こうと思っていたんだろうに…

のと鉄道の職員、木戸輝彦さん。あの年賀状の送り主だ。

土中さん:
お父さんも一緒に連れてきたんです。

木戸さん:
平成19年の地震の時も、すぐ職場にいらして、私は家で地震の片付けしとったら、家のドア開けて、おい、木戸行くぞと言って。行ったことを覚えています。本当にあの熱心で、率先して、一番仕事をしとった方、残念といいますか悲しくて、最初聞いたときはびっくりしたんですけど、きょうお会いできてよかったかなと。

「絶対に事故を起こさないように」と父が長年守ってきた線路の安全。土中さんは再び動き出した列車を見届けることができた。

土中さん:
(父が)前の震災の時にした仕事で、今の能登半島地震の復興に役に立ったってことを聞いて、良かったなって。きっとお父さんも天国でのと鉄道の復興を心待ちにしとったと思うし、きょうこの開通をみて喜んどると思う。

復旧したのと鉄道を見届け、土中さんは、父の墓がある場所へ向かった。

土中さん:
まだちょっと傷ついてるけど、これはもう仕方ないね。でもこんないいがにしてくれたから。これも欠けとるけど、上に上げてくれて、良かった。

地震で倒れた墓石は知人に頼み、元の位置に戻してもらった。

地震から3カ月あまり「元気なふりするのも疲れた…」

土中さん:
やっぱりちょっと、孤独っていうか、一生懸命、手続きしたり、片付けしたり、引っ越ししたりっていろんなことがあって、動いとるときはなんかしなきゃって動いていたけど、急に、やっぱり、ふと…何か…、これからどうしたらいいんだろうって思う時がある。頑張って元気なふりするのもちょっと疲れてきたかなって。正直3カ月たってそう思う時もある。

大地震の発生から3カ月半。父が愛したのと鉄道が動き出した一方で日々の生活は元通りとはいかず、土中さんは今も不安の中にいる。

(石川テレビ)

石川テレビ
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