東日本大震災は発生直後、海外でも大きく報じられた。13年が経過した今も、あの日の出来事から「学ぶべきことがある」と被災地の姿を伝え続ける韓国人の記者がいる。

震災伝え続ける韓国人記者

「仙台 生存者脱出の列」
「あなた、待っているよ…避難所には声無き号泣」

韓国の全国紙「京郷新聞」
韓国の全国紙「京郷新聞」
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韓国語で、宮城県内の被災地や避難所の様子が書かれた新聞記事。13年前、東日本大震災を報じた韓国の全国紙「京郷新聞」の紙面だ。3月11日に東日本を襲った地震と津波は、隣国・韓国でも大きく報じられた。

現在、韓国中部の街・大田市で働く京郷新聞のユン・ヒイル記者。震災の発生直後、仙台市の避難所を拠点に被災地の取材を続けた。

「今、改めて写真を見たら、その時の痛みを感じますね」
(京郷新聞ユン・ヒイル記者)

韓国で大地震が発生したら…

13年前のあの日、韓国国内で取材をしている時に地震発生の連絡を受け、急きょ被災地へ向かうことになったユンさん。福島県を経由し、地震発生から3日後に宮城県に入ったが、その時に見た光景を今も鮮明に覚えているという。

「あっちが津波があったところ、あっちが家があったところ、人がいなくなったところと案内してもらったんですけど、人間が住んでいる世界でこんな震災が来るとは思っていなかった。もし韓国でこんな地震があったらどうなるかと思ったらものすごく怖かった」
(京郷新聞ユン・ヒイル記者)

未曽有の災害の現場で感じた恐怖。一方で、取材を通して最も印象に残ったのは、声を掛け合い助け合う人々の姿だったという。

「自分だけじゃなくて周りの人にも声をかけたりすることに慣れている。身についている。一番学んだことは、災害が起きた時に国や行政に依存する以前に、自分の力で自分を避難させる、家族や周りの人と力合わせて被害を最小限にすること。そんな心構えはどの国でも必要だと思う」
(京郷新聞ユン・ヒイル記者)

被災地の姿を世界のモデルに

2023年は宮城県仙台市若林区の沿岸部にオープンした複合施設「アクアイグニス仙台」を取材したというユンさん。震災後も被災地に足を運び続け、復興の様子や日本の災害対応を韓国で発信してきた。

復興へ向かう今の被災地の姿こそ、韓国をはじめ世界のモデルになると考え、これからも宮城や東北の取材を続けていくという。

「2023年、宮城県に行った時すごく感動しました。地震・津波の被害と、それを乗り越える日本人の努力、それから学ぶべきことたくさんある。これからも宮城県がどう変わるかどう発展していくか、特に、今度いつ起こるか分からない大きい地震にどう対応していくか、ずっと見てみたいと思う」
(京郷新聞ユン・ヒイル記者)

(仙台放送)

仙台放送
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