3月20日午前9時過ぎ、東京・目白にある学習院大学のキャンパスに登校された愛子さま。報道陣の祝福に、笑顔で応えられました。

報道陣に笑顔で応える愛子さま
報道陣に笑顔で応える愛子さま
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記者:
ご卒業おめでとうございます。
愛子さま:
ありがとうございます。
記者:
大学生活を振り返られていかがですか?
愛子さま:
最初の3年間はオンライン授業で、最後の1年間はこのキャンパスに通い、たくさんの新しい学びを得て、充実した4年間を過ごすことができました。素晴らしい先生方や友人たちと出会えたこともうれしく、またありがたく思っております。

学習院大学卒業 晴れの日のお召し物

卒業という晴れの日に、愛子さまがお召しになっていたのは、春らしい桜色の振り袖に紺色のはかま。

髪には、桜色の花飾りをあわせられています。

皇室ファッションに詳しい青木淳子さんは、愛子さまのはかま姿について…。

青木淳子氏:
振袖の肩から胸元には金色の地に桜や菊、梅など四季の花々が描かれ華やかです。

青木さんによると、はかまを着用する時、袖が短い振り袖を合わせるのが一般的だといいますが…。

青木淳子氏:
本振り袖を着用するというのは、格式を重んじたというのか、卒業というご自身の節目に際して、お気持ちがもしかしたらおありだったんじゃないかなというふうに思います。

4年間の大学生活は「一生の思い出」

卒業式に続き、学位記授与式に出席した愛子さまは「敬宮愛子」と呼ばれて学位記を受け取られました。側近によると「卒業したという実感が湧きました」と話されていたといいます。

幼稚園から大学まで、18年間を過ごした学習院を卒業される愛子さま。4年間の大学生活を文書で、こう振り返られました。

愛子さま(学習院大学卒業に際しての文書):
学年の枠を越え、友人たちと一緒に授業を受けたり、じかに話をして笑い合ったり、学内の様々な場所を訪れたりしたことは、私にとって忘れることのできない一生の思い出となりました。

愛子さまが学習院大学に入学されたのは2020年春。当時はコロナ禍で、入学式は中止に…。
初めて登校されたのは、10月の新入生オリエンテーションでした。

学習院大学初登校時の愛子さま 2020年10月
学習院大学初登校時の愛子さま 2020年10月

愛子さま(2020年10月):
半年遅れではありますが、キャンパスを実際に訪れ、先生方や皆さんにお会いできることをうれしく思います。
新しい知識を得た時に感じられる喜びを大切にしながら、さまざまなことに取り組んでいければと思っております。

1年から3年まではオンラインで授業を履修。本格的に大学に通われたのは4年になってから。

愛子さま 2023年4月
愛子さま 2023年4月

愛子さま(2023年4月):
大学最後の1年間、この緑豊かなキャンパスで良い学びができましたらと思っております。

その言葉通り、友人たちとキャンパスで過された1年間は…。

愛子さま(学習院大学卒業に際しての文書):
以前は当たり前であったこれらのことが、いかに尊いものであるのか、実感することとなった学生生活でもありました。

指導教授が明かした愛子さまの人柄

大学では日本文学を専攻。古典や和歌などを学ばれた愛子さま。
2023年12月に提出した卒業論文は、中世を代表する女流歌人・式子内親王とその和歌を題材に執筆されました。

愛子さま(学習院大学卒業に際しての文書):
調べる資料や範囲が膨大で、一つのことを調べていると、次から次へと調べなければならない事柄が出てきてなかなか終わらず、特に締め切りが近づいた昨年末は、気が遠くなるような毎日を過ごしておりました。

卒業論文の指導をした中野貴文教授は、愛子さまの人柄がわかる、あるエピソードを明かしてくれました。

愛子さまの卒論を指導 学習院大学文学部 中野貴文教授
愛子さまの卒論を指導 学習院大学文学部 中野貴文教授

学習院大学文学部 中野貴文教授:
最後の最後、締め切りの直前まで粘って、自分の論文をより良いものにしようという粘り強さというのが、最も印象に残っています。

ギリギリまで、最善を尽くす粘り強さが印象的だったと話す中野教授。
授業後に提出を求めた感想文も、毎回ギリギリだったといいます。

学習院大学文学部 中野貴文教授:
(課題の提出期限を)2日後の23時59分までという設定にしていたのですが、敬宮さまは本当にその2日後の23時○×分にお返事をいただきまして、本当に粘り強く自分の言葉を最後まで推敲なさったんだなあというのを、よく感じました。

そんな姿勢について、愛子さま自身は中野教授にこう語られたといいます。

学習院大学文学部 中野貴文教授:
あるとき敬宮さまから「私、返事が遅いんですよね。私の返事が遅いって、先生方みんな思っているのかなと思いながら書いてます」とおっしゃって。明らかに場を和ませようとしたくだりとして、場を和ませる意図でそのようなことをおっしゃって、僕も思わず笑ってしまいました。

この言葉から見えてくる愛子さまの人柄について、フジテレビ宮内庁担当の宮崎千歳キャップは。

フジテレビ宮内庁担当 宮崎千歳キャップ
フジテレビ宮内庁担当 宮崎千歳キャップ

フジテレビ宮内庁担当 宮崎千歳キャップ:
マイペースで場を和ませるようなユーモアと、同時に提出ギリギリまでより良いものにしようと努力を惜しまない、そういう真面目な真摯な面と、その両方がおありだったんじゃないかなと思います。

4月から新たな生活へ

2021年12月、大学生活を送られる中で、成年皇族となられた愛子さま。
最上級の正装であるローブ・デコルテにティアラを着用され、宮殿で行われた祝賀行事に出席。

愛子さま 2021年12月
愛子さま 2021年12月

翌年、成年皇族として、初めての記者会見に臨まれました。

初めての記者会見に臨まれる愛子さま 2022年3月
初めての記者会見に臨まれる愛子さま 2022年3月

愛子さま(2022年3月):
まず、二十歳という節目を、無事に迎えることができましたことをうれしく思っております。これまでのあらゆる経験は、多くの方の支えやご協力があってこそ成し得たものであると、身をもって感じております。これまで様々な形で支えていただき、成年を温かく祝福してくださった皆さまに、心より感謝をお伝えしたいと思います。

2023年1月には初めて一般参賀に参列。公務に出席される機会も徐々に増えました。

2024年2月には、国際親善の昼食会に初めてご出席。昼食会では、通訳を交えず英語で直接会話を交わすなど、両陛下とともにケニアの大統領夫妻をもてなされました。

ケニアの大統領夫妻と笑顔で会話を交わす愛子さま 2024年2月
ケニアの大統領夫妻と笑顔で会話を交わす愛子さま 2024年2月

愛子さまは、2024年4月から日本赤十字社で嘱託職員として勤務しながら公務に取り組まれます。母、雅子さまが名誉総裁を務められた日本赤十字社。愛子さま自身も、以前から災害救助のボランティアなどに深い関心をもたれてきました。

フジテレビ宮内庁担当 宮崎千歳キャップ:
(愛子さまが)日赤で働いてみたいというふうに希望されるようになって、それを両陛下にお伝えされて、両陛下もいい考えだねというふうに賛成されて、背中を押してというか。日赤とも相談して、お話が決まったというふうに聞いています。

これから始まる新たな生活。愛子さまは、こう決意を述べられました。

愛子さま(学習院大学卒業に際しての文書):
皇族としての務めを果たしながら、社会人としての自覚と責任を持って、少しでも社会のお役に立てるよう、公務と仕事の両立に努めていきたいと思っております。

(「めざまし8」3月21日放送より)