壮絶な議員票の獲得争い
今年の政局の最大の焦点は「安倍総理が秋の自民党総裁選で3選を果たせるか」だ。

安倍政権で外務大臣を務め、現在、政調会長として党務をこなし出馬の機会を伺う岸田文雄。
同じく安倍政権で幹事長、地方創生担当大臣を歴任し、現在は無役で非安倍勢力の結集を目指す石破茂。
現在、総務大臣として閣内にいながら、女性初の総理を目指す野田聖子。
果たして第26代自民党総裁になるのはだれなのか―。

さかのぼること6年前の2012年9月、私は、自民党総裁選の各陣営を取材するため、連日連夜の取材に駆けずり回っていた。
総裁選投開票日の1週間ほど前のある晩、派閥領袖の部屋に来てほしいと電話があった。
「今回の総裁選での君の見立てを教えてほしい」
とっぷりと日が落ち、静まり返った議員会館の部屋で、私は派閥領袖に自分なりの見方を示しながら、取材を続けた。
どれくらいの時間が経ったのか、取材が一段落すると、領袖はスーツのポケットからおもむろにガラケーを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。
「〇×議員があっちに寝返っているという話があるが本当か?確認してほしい」
「□▲議員はうちでいいよね。念のためもう一度確認してくれるかい?」
壮絶な議員票の獲得争い―。
総裁選を前にして、各陣営の幹部や、投票先を迷う議員など、関係者からひっきりなしに電話が鳴る日々だった。
そこには、民主党政権が末期状態に陥り、自民党の政権復帰が濃厚になる中、事実上次の総理を決める選挙だという緊張感があった。
安倍晋三、石破茂、石原伸晃、町村信孝、林芳正の5人の候補が乱立し、9月26日に行われた投開票。
一回目の投票で決着がつかず、石破茂との決選投票の結果、安倍晋三が第25代の自民党総裁に選出された。
谷垣禎一を怒らせた「言葉」

この結果に最も影響を与えたのが、当時の自民党総裁・谷垣禎一の不出馬という事態だった。
谷垣は、自民党が2009年の総選挙で大敗し下野したあと、「捨て石になる覚悟」で総裁になり、3年にわたる任期のなかで、政権奪還の機会を窺っていた。
「まさか、現職の党総裁が選挙に出ないなんてことはあり得ないですよね?」
9月某日―。
告示日が近づいてもなかなか出馬を表明しない谷垣総裁に、しびれを切らしていた私は思わず聞いてしまった。
「どうして君にそんなことを言われなきゃならんのだ?」
「ここまでやってきたのに出馬しない理由がわからないのです」
生意気な私の問いかけに谷垣は青筋を立てていた。
明らかに怒っていた。
一方、谷垣の出馬を断固として実現したい側近らは推薦人集めに奔走していた。
「石原伸晃だけは絶対許せない。自分の親分に砂をかけやがって」
谷垣を支持するメンバーの憎悪は、党幹事長の石原伸晃が、「総裁を支えるためにやってきたわけではない」として、出馬への意向を表明したことに向かっていた。
また、一方で、谷垣の足元も揺らいでいた。
谷垣が所属する古賀派の会長・古賀誠が、「若い人に譲るべきだ」として、谷垣を派閥の総裁候補として推薦しない考えを直接伝えたのだ。
古賀派からは林芳正参院議員が出馬する意向を表明し、古賀派としても候補者を一本化することが困難な情勢になっていた。
谷垣は、こうした一連の動きに心が揺れ動いていたのだと思う。
総裁選を前に谷垣は多くを語らないまま、時間が過ぎていった。
そして、その日は突然やってきた.。
ある朝の異変、突然の不出馬表明

2012年9月9日の夜、谷垣の側近は私に、「そろそろ出馬表明できると思う」とひそかに語っていたのだが、10日の朝になるとおかしな空気が流れ始めた。
普段は電話をかけると出てくれるこの議員が、何度かけても電話に出ないのだ。
・・・何かがおかしい。
すると、朝、別の議員から電話がかかってきた。
「谷垣さんが出馬を断念するかもしれない。信じられないことだが・・・」
そして、その日の午前、谷垣は自民党本部で緊急記者会見を開いた―。

「自民党総裁選が始まりますが、私はこの総裁選に出馬しないという決断をしました。特に、執行部の中から2人出るのは良くないだろうと。このように考え決断した次第です。」
野党自民党時代、谷垣の最も近くで支え、見守ってきた国会議員がいる。
総裁選を前にしたある日曜日、都内の観光名所で落ち合おうと約束し、その時彼から聞いた言葉が忘れられない。
「谷垣さんは出馬しても勝てないかもしれない」
勝てない選挙には出るべきでないという趣旨のこの言葉。
谷垣は自身の意向で不出馬を決断したのか、あるいは、断念するよう説得されたのか―。
いずれにしても、不出馬を表明した瞬間、谷垣を側面支援していた麻生太郎らが安倍支持に回り、5人が争う選挙戦の構図が固まった。
※敬称略
【フジテレビ 政治部官邸キャップ 鹿嶋豪心】