普段は冷静に仕事をする支局の助手が突然「えぇっ?」と声をあげて、その発言を聞き直しに行った。中国の重要会議である全人代=全国人民代表大会で、閉幕後に行われる首相の記者会見が取りやめになったという一報だった。

会場の人民大会堂には多くの報道陣が列を作った
会場の人民大会堂には多くの報道陣が列を作った
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3月11日に閉幕した今年の全人代は、この首相の記者会見がなくなったことが、今の内向きな中国を示す象徴的な出来事だったのかもしれない。それくらい「めぼしいものが何もなかった会議」(日中外交筋)だったとも言える。この全人代での出来事を通して中国の現状を探る。

動じない習主席

メディアは各社とも経済成長率、台湾への言及、国防費の増加など、開幕前に注目していたポイントがほぼそのまま記事になった。それだけ予定調和でもあったということだろう。

習主席は時折、他の幹部に指示を出していた
習主席は時折、他の幹部に指示を出していた

全体会議に出席した習近平国家主席を議場で見たが、幹部が演説する文面に目を向けることはほとんどなかった。事前に目を通し、了承していただろうことは言うまでもない。表情もそれほど変えることはなく、横にいる李強首相ら幹部と時折、話をする様子が見られた。資料の特定の箇所を指さしていたところを見ると、指示はかなり具体的なものだったのかもしれない。その様子は悠然としていて、動じることもなく、決められたスケジュールを淡々とこなしているように見えた。

会見取りやめは被害者意識と忖度?

2023年の全人代後に記者会見した李強首相は、資料をほとんど見ずに自国の経済などを流ちょうに話していた印象がある。「非常に頭の良い人」(中国筋)という評価もある。質問内容も含めて事前に調整される中で、失言するとも思えない。

2023年の全人代後、李強首相は身振りも交えて饒舌だった
2023年の全人代後、李強首相は身振りも交えて饒舌だった

首相会見を取りやめた理由については「対外世論を気にしているのではないか」(日中外交筋)という見方が聞かれた。「中国は欧米からいじめられているという意識が常にある」(別の外交筋)というように、欧米各国に対する中国の被害者意識は強いとされる。李強氏の説明能力や善し悪しとは別に、対外的な発信の仕方に敏感、ないし慎重になっている可能性はある。

今回の全人代で政府活動報告を行う李強首相
今回の全人代で政府活動報告を行う李強首相

もうひとつ、「李強氏が自ら会見の取りやめを提案したのでは」(別の外交筋)という見立てもある。習主席への権力集中が進む中、李強氏が発信すること、目立つことは誰の得にもならないという考え方だ。李強氏本人やその周辺が習主席を忖度し、会見の舞台をなくしたという筋書きも理解できる。

中国外務省は首相の会見取りやめの明確な理由は語らなかった
中国外務省は首相の会見取りやめの明確な理由は語らなかった

中国外務省は「各種の会議は海外メディアに開放している。充分に情報を提供している」と説明したが、取りやめの明確な理由を明らかにすることはなかった。

質問できなかった日本メディア

続投が決まった王毅政治局委員兼外相の記者会見では、日本メディアが質問する機会を与えられなかった。これも首相会見の取りやめと同様「ないこと、なかったこと」が注目すべき点だ。

王毅外相の会見で日本に関する話題は取り上げられなかった
王毅外相の会見で日本に関する話題は取り上げられなかった

王毅氏は国内外のメディア21社の質問に答えたが、質問は全て事前に調整されている。つまり中国が言いたいこと、発信したいことを王毅氏が話す場とも言える。実際、王毅氏は習主席の言葉をたびたび引用しつつ、特に海外メディアに対しては友好と安定した関係を強調した。2023年、外相として会見し、その後役職を外れた秦剛氏の近況に触れる質問は一切なかった。

日本の記者が質問する機会がなかったのは、敢えて触れる必要がなかったという声が複数の関係者から聞かれた。2023年秋にアメリカ・サンフランシスコで日中首脳会談が行われたこともあり、「緩やかな改善の雰囲気」(関係筋)とはいうものの、処理水やビザ免除の問題などは進展していない。日本との関係、とりわけ具体的な問題に触れるのは得策ではないと判断した可能性はある。アメリカ大統領選はもとより、ウクライナ、ロシア、中東情勢など、山積する外交案件を前に「小康状態」(外交筋)の日中関係はひとまず静観しておくということか。

政治と関係ない市民

北京市内は全人代の最中も変わらぬ日常が続いていた。変わったことといえば交通規制が厳しくなったことと、インターネットに繋がりにくくなったことくらいだろうか。

全人代の期間中、北京市では各所で渋滞が見られた
全人代の期間中、北京市では各所で渋滞が見られた

タクシーの運転手に話を聞くと「気になるのは交通規制による渋滞だけだ。(全人代に)興味はない」と言われた。「ニュースや新聞など誰も見ないよ」とも。政治に参画する権利がない市民にとって、全人代は縁のないものという認識が浸透していて、注目していたのは国民ではなく海外の人たちだという皮肉な現実を改めて突きつけられた。

日本の代表たる「選良」の醜聞には落胆や失望を禁じ得ないが、その感情や興味すら持たないこの国の少なくない人々には、無関心から来る気楽さのようなものを感じる。

有権者の半分が国政選挙の投票に行かない日本の現実を思う一方で、そもそも考えない、考えてもしかたがないという感覚を前にすると、評価のしようもなく、途方に暮れる思いである。内向きな中国への懸念は以前から指摘されているが、肝心の国内にそれが感じられない、ないし抑え込まれたままであれば、指導部の舵取りがさらに不透明になるのも無理はない。
(執筆:FNN北京支局長 山崎文博)

山崎文博
山崎文博

FNN北京支局長 1993年フジテレビジョン入社。95年から報道局社会部司法クラブ・運輸省クラブ、97年から政治部官邸クラブ・平河クラブを経て、2008年から北京支局。2013年帰国して政治部外務省クラブ、政治部デスクを担当。2021年1月より二度目の北京支局。入社から28年、記者一筋。小学3年時からラグビーを始め、今もラグビーをこよなく愛し、ラグビー談義になるとしばしば我を忘れることも。