震災から13年を迎えたき2024年3月11日。復旧が進む被災地、そして変わることのない遺族の思い…それぞれの3月11日。復興への歩みはこれからも続く。
復旧進む被災地
新地町・釣師浜防災緑地公園では親子で遊ぶ姿が。3歳の娘と訪れていた母親は「復興が進んで、町も笑顔も増えている。子育ても少しずつ安心してできる環境が整ってきてるのは、すごく嬉しい」と話す。

あの日、津波が押し寄せた新地町。沿岸部の防災緑地、住宅地も地盤がかさ上げされるなど整備されている。

津波で両親を亡くした新地町民は「みんな孫たちも大きくなって、私たちも病気もしないで頑張って働いて生活できているから、それを見ててもらって安心してもらいたいな。心配しないでねって」と話した。

見つからない息子を思い
浪江町・大平山霊園には、13年を経ても変わらぬ悲しみを抱えた人が。
浪江町請戸地区の渡辺昭子さんの息子・潤也さんは、消防団員として住民の救助に向かい、そのまま行方が分からなくなった。

震災から1年を前にした2012年3月。家族で悩みぬいた末に戻らない息子の葬儀をあげることを決めた。あれから13年、潤也さんの行方は分かっていない。

渡辺さんは「今も同じ。まだ息子見つかっていないから同じ気持ちです。姿見てないし、帰って来るのかなと思ったり…あり得ないけど」と話した。

風化を実感
いわき市では、13年で「風化」を感じる人が。豊間地区に設けられた献花台を訪れた小松光一さん。津波で妻・えみ子さん(当時62歳)が行方不明となっている。「こうやって見ると、だんだん風化していくというか。やはり寂しいっていえば寂しい。去年まで結構人いたのに、これだけだから」

13年前の祖母との約束
13年を経て、見てもらいたい成長もある。
白河市の葉ノ木平地区。震災の地震で大規模な土砂崩れが発生し、13人が死亡した。家族8人で暮らしていた酒井美緒さんは、祖父母と叔父を亡くした。酒井さんは「ずっと大好きという思いは変わらないのと、あとはずっと見守ってて欲しい」と話す。

おばあちゃん子だったという酒井さん。祖母の貴美子さんとは「看護師になる」と約束していた。看護師になるための試験の合格発表は、3月22日。13年が経って約束を果たそうとしている。酒井さんは「魅力的なものとかを、発信していけたら良いのかな。若い私たちの世代の人たちで、福島がもっと明るくなるようにしていけたら良いかと思う」と話した。

もどかしさ募らせる漁師
いわき市・江名漁港。「あの時の思いは、切ない思いばかりだった。自分らの思ったような仕事が、やりたくてもできないという。何のために船を助けたのかという葛藤があった」と話すのは、漁師の岩塚昌広さん。

原発事故後に自粛を余儀なくされた福島の漁業。試験操業を経て、本格操業への移行期間に入っているが、震災前のような水揚げには至らず、もどかしさが募る。

岩塚さんは「魚とりやるのが好きで漁師になった。その魚とりが思うようにできないっていうか、張り合いがない」と話す。
2023年に始まった処理水の海洋放出。漁業の復興や廃炉に向けた課題は山積している。

多くの人が被災地へ足を運び、被災地を見つめた3月11日。震災と津波、そして、原発事故。福島の今を知ってもらい、伝え続ける14年目が始まっている。
(福島テレビ)