東日本大震災から13年。被災地ではこれまで各地で教訓を伝える活動が続けられてきた。
能登半島地震という大災害が起きた後も、伝承の担い手たちは未来の防災につながることを信じて活動に向き合い続けている。

3.11当時の記憶を伝えてきた

岩手・釜石市の伝承施設「いのちをつなぐ未来館」の職員・川崎杏樹さん(27)。
大学卒業後から4年間ガイドを務めている。この日は全国の「観光地域づくり法人」に勤める人たちに、“あの日の出来事”について伝えていた。

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いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん:
小中学生一緒に手をつないで、歩いて避難した。

震災当時、海の近くに建つ釜石東中学校の2年生だった川崎さんは、学校で行われていた防災学習や訓練の成果で、地震後すぐに避難を始めた。

川崎さんは、「高台で、私自身も初めて津波を見ました。町がどんどんなくなり壊れていく光景があまりにも衝撃的すぎて、理解が追い付いていかなかった。文字通り頭が真っ白だった」と、当時の様子について伝えた。

あの日パニック状態になりながらも坂道を登った川崎さん。学校にいた570人の子どもたちはみんな高台に避難できた。

高台に着いて、ようやくホッとできたと話す川崎さん。すぐに行動に移せたのは日ごろの訓練や防災教育のおかげだったという。

全国的に注目された避難行動
全国的に注目された避難行動

直後から全国的に注目された避難行動。
川崎さんはこの施設唯一の体験者として、3万人以上の人に壮絶なあの日を伝え続けてきた。

いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん:
ずっと当時を振り返りながらお話しするのも、意外と体力を消費するというか、予定はずっと先まで埋まっていて、ちょっと大変だなと思う一方で、「お話聞けて良かった」って感想をいただくと、前向きな気持ちには変換できていると思う。

そんな川崎さんには胸を痛めている出来事があった。元日の能登半島地震だ。

川崎さんは「死者の人数が更新されていく、犠牲者がどんどん増えていくのが苦しくて、毎日毎日色々な方に情報を発信していたのに、なかなか生かされてなかったっていうのを突き付けられているような気がして」と心境について語った。

伝承は本来“前向きな話”

時には葛藤も伴う語り部の活動。
そうした活動の担い手が全国から集うシンポジウムが、2月25日に宮城県南三陸町で開かれ、川崎さんも参加した。ここでも能登半島地震が話題に上る。

宮城・南三陸町の語り部・後藤一磨さん:
何を学び何を伝えていくのか、今も現在進行形で問われています。

大川伝承の会(宮城・石巻市)・佐藤敏郎さん:
行政や学者がいくら言ってもなかなか変わらないことが、親戚の話がきっかけで地震保険に入るという行動に出られる。伝え方一つ、マインドの部分でもっと私たちはできる部分があるのではないか。

この日、川崎さんは次世代の伝承を考える分科会に登壇し、日々感じていることを率直に語り合った。

いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん:
何で話している途中に寝ちゃう人がいるのかなとか、つまらなそうだなという人を見かけたときに興味を持てる授業ができていなかったりとか。

淡路島に生まれ阪神・淡路大震災当時生後2カ月だった米山未来さん(29)は、語り部である父親の影響で自身も語り部となった。

阪神・淡路大震災の語り部 米山未来さん:
語り部活動をライブ配信で行い始めたが、いかに興味・関心がない人に持ってもらうことが難しいか

悩みを共有する一方、伝承や防災をみんなで前向きに捉えることが大切という意見が多く出された。

福島・浪江町出身(宮城で活動) 清水葉月さん(30):
未来に対してすごくポジティブな明るい未来にするための話をしているから、本来は楽しく明るい話。

同じ活動に取り組む若者同士の交流は、互いの励みになっていた。

阪神・淡路大震災の語り部の米山さんは、「こういう会でつながれるのはすごくうれしいし、ありがたい」と笑顔で話す。

いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん:
岩手はちょっと若い子が少ないのでうれしいです。自分自身も新たな気付きや発見、大事なことを再認識することができたと思う。改めて自信持ってお話をし続けたいと思った。

その2日後、釜石にはガイドに当たる川崎さんの姿があった。

いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん:
小さい子からお年寄りまでの泣き声・叫び声・悲鳴が聞こえていた。学校の中の子どもたちは助かることができました。学校での防災教育ってすごくよかった、役に立ったと言えると思います。

熱意のこもったその言葉は、全国から訪れた人の心に響いていた。

広島から来た人:
自分も親として、今回の話を子どもたちに共有できたらと思う。

長崎から来た人:
彼女みたいな存在がいることで、私たちも長崎に戻ったときに、こういうことを学んだよって伝えていけるのですごくありがたい。

「継続が何よりの近道」

元日の能登半島地震をめぐっては、川崎さんが注目する出来事があった。

珠洲市三崎地区・出村正廣区長:
「津波って言われたら集会場」って合言葉があったもんで。

珠洲市の三崎地区では日ごろから訓練を行っていた成果で、住民が迅速に津波から避難できたのだ。

いのちをつなぐ未来館・川崎杏樹さん:
教訓を生かして助かった人たちもいるのが、すごく私にとっては希望というか、今回助かったような人たちが、またどこかで生まれてくれることを信じて、何より継続が近道だと思いますので、私たちも頑張りますのでぜひここに来て、そういうところを感じ取っていただけたら。

伝承活動を始めて4年。
葛藤を抱えることはありながらも、川崎さんはこれからも地道に“あの日の教訓”を語り続けていく。

(岩手めんこいテレビ)

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