2月3日の「節分の日」といえば「豆まき」。「鬼は外」と鬼を追い払うように「豆まき」をするのが一般的だが、宮城県には「鬼は内」と、鬼が外に逃げないように「豆まき」をする町があった。1000年以上も前の伝説を現代まで語り継いでいるこの町では、「鬼」は人間と切っても切り離せない存在だった。

ルーツは平安時代 豆まきは「鬼も内」

宮城県村田町・姥ヶ懐地区
宮城県村田町・姥ヶ懐地区
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 仙台駅から車で40分ほど。山間にある宮城県村田町の人口200人ほどの姥ヶ懐(うばがふところ)地区。この地に残るのが「鬼退治伝説」だ。そのルーツは平安時代にさかのぼる。

 京都で鬼と戦った武将・渡辺綱(わたなべのつな)。鬼の片腕を切り落とすが退治はできず、逃げた鬼を探して、東北にあるこの姥ケ懐を訪ねた。すると、綱の前に老婆に化けた鬼が現れ、隙をついて腕を取り返し、逃げてしまった。姥ヶ懐地区の住民は渡辺綱を不憫に思い、以来、節分では「鬼は外」ではなく、鬼が外に逃げないよう「鬼も内」というようになったという。

1000年経っても...語り継がれる伝説

渡辺千治さん(83)
渡辺千治さん(83)

 この地区で生まれ育った渡辺千治さん(83)は、祖父や父から姥ヶ懐地区の伝説を聞いていて、昔の年寄りの人たちは「天打ち、地打ち、四方打ち福は内、鬼も内」と言いながら、豆まきをしていたと教えてくれた。

 渡辺綱が生きた時代から1000年以上の月日が流れたが、町には伝説が今も風習として息づいていて、地元の伝承施設・「民話の里・ふるさとおとぎ苑」にはおどろおどろしい鬼の人形が展示されている。渡辺さんは「『昔はこういうことがあった』と、孫たちにも教えなければいけないと思っている」と、この伝説を後世まで伝え続けていくつもりだ。

民話の里・ふるさとおとぎ苑に展示された鬼の人形
民話の里・ふるさとおとぎ苑に展示された鬼の人形

江戸時代のもの? 眠る「鬼のミイラ」

 この「鬼退治伝説」との関連は不明だが、村田町には鬼にまつわるものがいくつも残されている。そのうちの一つが、町内の資料館に眠る「鬼のミイラ」だ。

 江戸時代のものとされるこのミイラ。普段は鍵をかけて厳重に保管しているが、特別にその姿を見せてもらうと、巨大な頭蓋骨に2本の角、口にはするどい牙が生えていた鬼の頭と、その片腕のミイラがあった。いずれも地元の商家の蔵から見つかったというが、その由来は謎に包まれている。

鬼のミイラ
鬼のミイラ

 この資料館の職員は、初めて「鬼のミイラ」を見た夜に、ひどくうなされたという。

本当に「鬼」がいた? 人間と切り離せない存在

姥の手掛け石
姥の手掛け石

 実は、鬼伝説が残る姥ヶ懐地区にも、鬼がいたことを示す痕跡が残されている。それが赤い柵に囲まれた「姥の手掛け石」だ。老婆に化けた鬼が綱から逃げる途中で転び、手をついたとされる石で、よく見てみると、指のような跡がくっきりとついているのがわかる。姥ヶ懐地区では御神体としてこれをまつり、村田町も観光名所として紹介しているという。

 村田町に現代も伝わり、人間と切っても切り離せない「鬼」の存在。怖い存在なのか、人間を守ってくれる存在なのか。その正体は未だ不明だが、少なからず人の暮らしに影響を与えてきたといえるだろう。

(仙台放送)

仙台放送
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