能登半島地震の発生から約1カ月がたったが、つらい避難所生活を一変させた、あるアイテムが注目されている。完成までわずか15分。子供でも組み立てられる「インスタントハウス」の開発秘話を追った。
避難所の救世主は“和菓子の建築家”
避難所となっている石川・輪島市の輪島中学校に建てられた、まるで巨大なマシュマロにも、大福のようにも見える不思議な小屋。原材料費は約15万円、しかも、わずか1時間で建てられるという「インスタントハウス」だ。実際に中に入ってみると、暖房器具を使用していないのに暖かい。
この「インスタントハウス」を作ったのは、名古屋工業大学の北川啓介教授(49)。
![インスタントハウスを作った、名古屋工業大学の北川啓介教授(49)](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/a/5/700mw/img_a536fa6e18cfef4fc5620d59eb120216184037.jpg)
北川教授:
私たちがいるだけで暖かくなるというのは、言ってみれば羽毛布団を被った時の状態ですよね。
北川教授の発明はまだまだある。お菓子の家のような屋内用ハウスも北川教授が開発したものだ。
![段ボール製の屋外用インスタントハウス](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/9/1/700mw/img_910bb4f3ab1be997bc97832a9bdcf463198410.jpg)
北川教授:
段ボールのダブルっていうものを使っています。シングルに比べて構造的にも強くなるし、断熱性ですね。だけどやっぱり屋根の形のところが、ちょっとこだわっていまして。(屋根は)お家ができてくるっていう1つの象徴にもなってくるので。
インスタントハウスを作り、被災地に届け続けることになった北川教授。きっかけは、和菓子職人の父の背中と、13年前の東日本大震災で出会った子供たちのある言葉だった。
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2月1日、北川教授の一行は段ボールのインスタントハウスの材料を車に詰め、能登の街を目指していた。震災の翌日にはすでに、能登入りしていたという北川教授。被災地へ向かうのは4度目となる。
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「将来和菓子屋になろうとも思ってたし、他の職業に魅力を一切感じなかった」と語る北川教授だが、なぜ建築の道を歩むことになったのか。
北川教授の実家は、1964年創業の名店「尾張菓子きた川」。父の玉一さんは15才からこの道に入り、瑞宝単光章まで受賞した和菓子一筋の職人だ。
北川教授:
名古屋城の近くの和菓子屋ですね。特に全部手作りでやっているところで、言ってみれば、親父と母親の背中を見ながら、お客さんが喜ばれるのすごく見てたんですね。
北川少年は、父が生み出す美しい和菓子の数々に魅了されながら、 幼い頃から店を手伝い、客の喜ぶ顔に幸せを感じる子供だったという。もちろん、将来の夢は「和菓子職人」だった。
![幼い頃から店を手伝い、客の喜ぶ顔に幸せを感じる子供だったという](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/6/d/700mw/img_6d79c63adebc4eaa2d7bdc4ee61e3343214850.jpg)
北川教授:
もう和菓子しか職業のイメージなかったので、和菓子職人しか。
ではなぜ、そんな北川教授が大学受験をしたのかと言えば…。
北川教授:
同級生がみんなセンター試験(現・大学入学共通テスト)を受けるんですよ。「うーん」と思って。それがちょっと寂しくなっちゃって。
![授業の課題では、和菓子の材料で作った建築模型を提出したこともあった](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/3/8/700mw/img_38f4a5ac6bccfc4beda7f250596f7c03155103.jpg)
それだけの理由で名古屋工業大学を受験すると、あっさり合格し、建築学科に進んだ。課題では、和菓子の材料で作った美術館を設計した建築模型を提出したこともあった。「人間が持つ曲線の美しさが表現しやすい」という理由で、曲線を描く壁から、周囲の樹木まで、すべて、和菓子の材料で作ったのだ。
北川教授はそのまま大学に残り、研究者の道へと進んだ。
被災児童たちの言葉に打ちのめされ…
そして、節目は2011年の東日本大震災の時に訪れた。「建築の専門家の視点で、被災地を見て欲しい」という新聞社の依頼で、いくつもの現場を見て回った北川教授は、とある避難所で2人の子供に出会った。
北川教授:
小学校3年生と4年生の子が、その間ずっとついていてくれたんですよ。多分彼らもね、話を聞いてくれる人をずっと求めていたと思うんですよね。
それは、避難所の視察を終え、その場を後にしようとした時だった。
![北川教授は子供たちから仮設住宅を「来週建てて」とお願いされたという](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/2/b/700mw/img_2bd0cf2854c76912d86e12d0e251612d160039.jpg)
北川教授:
その子たちが、「ちょっといい?」って言って、キュッて僕の指を握ったんですよ。「一緒に来て」って言ってくれて。
彼らは、北川教授を運動場に連れて行き、「なんで仮設住宅ができるまで、3カ月も半年も待たなきゃいけないの?」「先生、大学の先生なんでしょ。だったら、来週建ててよ!お願い」「来週建てて!お願いします!」と言ったという。
北川教授:
ちょっと、“うっ”と思ったんですよ。ちょっと強烈だったんですよ。悲しいし悔しいし、何もできなかったんですよね、資材もないし…。
その言葉に打ちのめされ、避難所を後にした北川教授は、ノートにこんなことを書き始めた。
北川教授:
“なんでなのか”っていうのを、まず答えようと思ったんですよ。なんともわかんなかったから。3カ月から6カ月かかってしまう理由をノートに書き出して。ちょうど40個だったんですね。いっぱいあるんですよ。
![北川教授は、40の理由の対義語をノートに書き出した](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/d/e/700mw/img_decc19b9f2e9a5dc04b83e2423a0a005118806.jpg)
ノートに書き込んだ40もの問題点。その右側に、「重い」の反対は「軽い」、「(値段が)高い」の反対は「安い」といった形で、それぞれの40の理由の対義語を書き出した。
北川教授:
それを全部成し遂げれば、皆さんの役に立つ、即座に届けられる住宅ができるって勝手に思って…。
成功のカギは「空気」
そんなことを考え続け、アイデアは被災地からの帰り道に降りてきた。
北川教授:
外に出た時に、ダウンジャケットをリュックからシュクシュクと出したんですよ。それをパッと着た時に、うわって、ちょっと思って。これ40(の問題点)なんか関係してるかなって。その時に、空気っていうのを考えたら、40個クリアできちゃったんですよ。
そこから北川教授は、身の回りにあるもので手当たり次第に実験を重ねた。
![風船で作った試作品](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/0/d/700mw/img_0d88db650aaca0062b3c5f63e9e70f60153127.jpg)
最初に試したのは風船。大量のペンシルバルーンを膨らませ、編み込んで、中に入ってみると、暖かかった。しかし、風船はすぐにしぼんでしまう。
![スポンジを使った試作品](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/2/5/700mw/img_250a88a0a4208254300e1d2798d386bd168403.jpg)
そこで、次に試したのが家の形に縫い合わせた大きなスポンジだ。
北川教授:
ギューって袋に入れて、布団圧縮袋。あの掃除機でギュッってやってちっちゃくなるから、それで開けたらふわってなるかなと思ったら、なったんですよ。
その後も、ありとあらゆるものを試した。
北川教授:
花火使ったりもしたんですよ。中に爆竹入れといて、ボンってやったら、破れてボンッてなっちゃって、「うわっ」て。めっちゃでっかい音がして。隣が名古屋大学病院で怒られて…。
フランスパンから着想を得る
そんな失敗を繰り返すこと約5年。あるとき北川教授は、理想の構造をパン屋さんに見つけた。それは、フランスパンだった。
北川教授:
大きいフランスパンって、中ふわふわなんですよ。で、外が硬いんですよ。バリバリなんですよね。これってすごいベストな構成をしてるなあと思って。
ならば、そんな構造を作ればいいのでは?そう考えた北川教授に、2016年10月、運命の時がやってきた。
北川教授:
吹き付け屋さんも来てくれて、建築の構造の先生とかもみんな集まってくださって。で、始まったんですよ。でも、みんな思ってたのは、また失敗するだろうと。私自身もちょっとそうだろうなと思っていたんですよ。
![インスタントハウスの試作品](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/b/5/700mw/img_b53f391174cb411a2c44f6374acca162212854.jpg)
そんな思いではじめたのは、まず、大きなテント状のシートを送風機で膨らまし、その内壁に発泡性の断熱材を吹き付けていく。それは、柱も壁もない、前代未聞の建築物だった。
![ようやく完成した屋外用インスタントハウスの試作品](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/b/c/700mw/img_bca4cd4e2a7b7199590789755012cf4c248673.jpg)
北川教授:
触ったら「うわっ」て感じになって。これフランスパン触った時と同じじゃんと。できたよって言って、それを4人でみんながうれしそうに運んでくれたんですよ。うわ、軽いしと思って、その瞬間にぶわーって。建築やってて良かったと思ったんですよ、その時。
この時の試作品をさらに進化させたのが、いま被災地で使われている屋外型のインスタントハウスだ。原価は一つ15万円ほど、しかもわずか1時間で完成するというインスタントハウスは、まるで美味しそうな大福餅のようだ。
北川教授:
石巻中学校の(避難所にいた)3年生と4年生が見たいって言ったら、2人だけちょっと個室に入れて「今ここにいるのが、そのあれだよ」って、めちゃめちゃ伝えたいね。(今は)20歳ぐらいだと思うけど、大学生かもしれないよね。建築学んどるかもしれないよね。
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さらに、勢いに乗った北川教授は、「屋内用」として原価約1万円の、段ボール製のインスタントハウスも同時開発した。
![発災翌日、インスタントハウスを車に詰め込み被災地へ向かった](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/1/e/700mw/img_1e25243b33aab281862d6e3b998473b5278515.jpg)
今回の地震でも、発災の翌日にはありったけのインスタントハウスを車に詰め込み、被災地に向ったという。避難所でインスタントハウスを組み立て始めると…。
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北川教授:
「一緒に作ろう」って言ってくれて、子供たちが。壁からまず組み立てて、屋根を横で作って、のせた瞬間に、みんなが「おぉ!」っていう感じになったんですよ。3歳の女の子が突然ですよ、「おうちができた」って大きい声で言ってくれたんですよね。
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北川教授:
お母さんが、実は家がもうぐちゃぐちゃでっていう話をして。こんな悲惨な状況が起きて大変な時に、その娘さんが「おうちができた」なんて言うから、涙もこらえきれなくて、外出て泣いていましたね、僕は。
あれから1カ月。その時の女の子が、鈴木乃蒼(のあ)ちゃん(3)だ。
![インスタントハウスが完成した際、乃蒼ちゃんの「おうちができた!」という声に北川教授は涙したという](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/1/7/700mw/img_1761523b15b43ed42b5db1d9c2c65579194717.jpg)
北川教授:
これは?
乃蒼ちゃん:
乃蒼のおうち~。
乃蒼ちゃんの兄・響一郎くん
案内!案内!ここですよ~。
乃蒼ちゃん:
こっちつながってるよ、ね!つながってるよね?
幼い頃に見た客の笑顔のように。今でも、和菓子職人になる夢を諦めていない北川教授は、被災地に咲く笑顔を今も夢見続けている。
(「Mr.サンデー」2月4日放送より)