日本郵便は、24日から珠洲市・輪島市・能登町・穴水町の郵便局で、窓口での郵便物の引き渡し業務を再開しました。

25日 石川・輪島市の郵便局には朝から列が
25日 石川・輪島市の郵便局には朝から列が
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輪島市の郵便局には、約3週間遅れの便りなどを受け取ろうと朝から多くの人の姿が。

郵便を受け取った人:
日常生活が徐々に始まってきてる感じがして。郵便物が届いているってことで、他の地域とつながっている感じがして、良い気がしました。

郵便物を受け取って笑顔があふれる
郵便物を受け取って笑顔があふれる

久しぶりの日常を感じることができ、郵便物を手にした被災者からは、笑顔があふれます。

安否不明の友人から届いた“年賀状”

輪島市で被災した自営業の松野克樹さん(57)。手に持っているのは、友人から届いた年賀状です。書かれていたのは、新年のあいさつと、正月を祝う紅梅と白梅でした。

松野克樹さん:
暮れにちょっと遅れ気味に出されたんかな、年賀状…。驚いた。あっと思って。

年賀状をくれたのは、30年来の友人だという畠中雅樹さん。
しかし、現在も安否は不明だといいます。

松野克樹さん:
知ってる人に聞いたら、建物が崩れる時におって、それを人が見とったって話もあって。ダメじゃないかって…全然連絡もとれんし。どっかにおってくれりゃ、いいと思うんだけど。年賀状届いているのに、本人おらんかもしれん、ダメかもしれんみたいな。
年明けて普通に年賀状もらって「今年もお願いします」みたいな感じやったのに。ダメかもしれんみたいな話を人から何回も聞いて…。
それで、郵便物をやっともらえるって聞いて。その中に、嫁さんが「畠中さんから年賀状あったよ」って言うて。聞いたらちょっとまた…また思い出してね。他の人でもいっぱい亡くなった人おるけど。何回思い返しても、つらいわね。まあ狭い町なので、そんな思いをしてる人いっぱいいると思うんですけど。

地震によって火災が発生した輪島朝市の近隣に住んでいたという畠中さん。

火災のあった輪島朝市
火災のあった輪島朝市

松野克樹さん:
ニュースとかでちらっと上空の写真とか見ても、わざわざ見に行くところじゃないなと思って…見に行っちゃダメだなと思ってあれは。あそこで何人も亡くなってるかと思えばね、まだ入れないので。もうちょっと、気持ちの整理がついてから。一回ね…。

――畠中さんはどんな人ですか?
怒った顔を見たことないので。いつも温厚で。くだらない冗談を言う人なので。
他の先輩も、“はたちゃん”って呼んでるくらいで。私いくつ下だったかな…6つか7つか、だいぶ下ですけど。私も“はたちゃん”って呼んでたんで。

「はたちゃん」の愛称で親しまれ、共に輪島の町を良くしていこうという気持ちを持っていたといいます。

松野克樹さん:
もしダメで、お別れって話なら、「ありがとう」って言うしか…、かける言葉もぜんぜん浮かばないですけど他に。

こみ上げてくる涙。それでもこれからは、再建に向けて進んでいかなければいけません。

松野克樹さん:
輪島で商売を再建して、やっていかないと。
自分だけではなく、それを声がけして、なんとかできんかなという思いはありますけど。あとはまあ、どっちみち時間がかかるので、メンタルをどうやって持たせるかって話なので。私は別に大丈夫なんですけど、周りの人になんかある度に、笑顔でありがとうって。それだけは心がけています。
(めざまし8 1月26日放送)