1月1日午後4時10分ごろ、マグニチュード7.6、最大震度7の地震が能登半島で発生し、津波警報、大津波警報が出された。
テレビ各局は放送中の番組から震災特別番組に切り替え、発令された大津波警報や被害状況などを伝えた。
現在も孤立した集落、懸命の救出活動、避難所の情報などを取材し放送しているが、「避難の呼びかけは適切だったのか?」「被災者に対する取材のあり方」について、今回の震災報道に関する視聴者からのたくさんの意見が届いた。
専修大学で災害とメディアについて研究している山田健太教授、フジテレビの奥寺健アナウンサー、報道局の平松秀敏編集長、そして石川テレビの稲垣真一アナウンサーが、「能登半島地震、今、求められている情報とはなにか」を語った。
今、求められている情報とは?
――日を追うごとに状況は変わってきていると思いますが、今、情報として求められていることは何だと感じていますか?
稲垣真一アナウンサー:
まず、現在も全国から多くの支援の手が県内に入っていただいております。
被災地の局の代表として心より感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
被災地の場所によって求められる情報が今、違っています。
何とか避難所での生活が安定しかけている被災者の皆さんは「どこにATMがあるのか」「罹災証明書の受け付けをどこで行えばいいのか」。また「入浴支援は今日はどこなのか」といったマイナスの状況を少しずつ元に戻そうという「動きの情報」が必要なんです。
一方でまだ県内の22の集落、3000人以上の方が孤立している(※1月21日時点、孤立集落は実質的に解消)。
そういう方は自衛隊がいつ来るのかというような「命をつなぐための情報」が必要だということで、何が被災地に求められている情報か、ということを一括りにはちょっとできない。
刻々とその場所ごとに必要な情報に、だんだん差が生まれてきている。
山田健太教授:
いまだに最大被災地がどこなのかもよくわからないような状況が続いていて、非常に取材の難しさ、報道情報の空白地帯が生まれる可能性が高い震災の形だと見ております。
今回の災害、メディアはどう機能したのか?
――地震発生から4分後、午後4時14分から放送を切り替えて地震の特別番組に差し替えていきました。元日ということもあり、体制が手薄な状況でもあったと思います。まず、石川テレビはどのような状況だったのでしょうか。
稲垣アナウンサー:
発災時、石川テレビでは実は私が正月勤務だったんですが、私を含めて報道フロアには4人という体制でした。
まず、震度5強の地震が発生した時、カットイン(番組を中断しニュースに切り替える)の準備をするために私はスタジオに入ったのですが、その時に震度7の地震が発生しました。
今まで感じたことのない揺れ、座っていた椅子が円を描くように回るというような揺れでした。
その揺れが1分くらい続いたように感じました。大変なことになったとフロアから慌てて出たところから対応が始まりました。
石川テレビは2022年に震度6弱、2023年に震度6強の地震をそれぞれ経験しています。少ない人数でも最低限、各地の震度の様子と各地のお天気カメラを結び、アナウンサーとデスクが一人いれば何とか10分ぐらいはもたせられるようなシステムを構築しております。
独自の会社のシステムで何とか立ち上げて、とにかくカットインを始めようと思いました。
午後4時22分からローカルのカットインを始め、その後、続々と社員が集まって(地震発生から)20分ぐらいしたところから、何とか放送を続けられる体制が整ってきました。
我々石川県民、そしてメディアは(震度)7の地震が来ると「津波が1分以内に来る」ということは分かっている。すぐに伝えないと大変なことになることが分かっていたので、(震度)7と聞いた瞬間に「津波だ」と思いました。
すぐに伝えたかったのですが、「大津波警報」の情報が入ってこちらも混乱していたために、伝えるのが少し遅れてしまった。
(震度7だったために全国に伝える必要があるため)フジテレビが特番の放送を始めたのを見て、「大津波がもう来てしまう」と思い、1段ギアが上がりました。
――フジテレビは当時、どういった状況だったのでしょうか。
平松秀敏編集長:
実は私も元日の出社の責任者だったので、現場の報道センターにいました。元日はニュース枠自体が少ないので当然、体制としては手薄でしたが、逆に言うと他のニュース番組を抱えていないので、スタートダッシュという意味では、みんなでワッと特別番組に集中することができたというのが一点あります。
ただ手薄ですから、息切れしてしまう。情報がなかなか上がってこなかったので、伝えるべき情報というのが本当に少なかった。
続報の情報収集がうまくいかなかったため、スタートダッシュできたにもかかわらず、息切れしてしまったというのが、当日の私の印象です。
また(大津波警報が出たので)「津波の被害が大変なんだ」という先入観や思い込みが、非常に私たちの中で強かった。
ところが現場から上がってくる情報は、(その日の時点で)津波の被害があまり入ってこない。その翌日、さらにその翌日になって「津波じゃなくてこれは地震の被害の方が甚大なんだ」というのが分かってきました。
――私たちアナウンサーは通信手段を使って情報が共有されます。
奥寺健アナウンサー:
アナウンサーは365日24時間、誰かがいるという体制をとっています。人員配置ができるようにスマホで「災害チャット」というものがあって、報道センターのアナウンサーが情報を上げて、それを使って指示を出す仕組みになっている。
しかし、報道センターのアナウンサーが特番に出てしまうと状況が分からなくなるため、社内や近くにいる人は指示を仰がず、自動的に報道センターに集まるようにというルールが決まっている。
少なくとも報道センターには5人のアナウンサーが集まるようにする。5人いれば長時間の特番にも耐えるようになります。
平松編集長:
カットインのスタジオにアナウンサーが4人、5人並んで順番にしゃべる、伝える、訴えるというのを延々と続けていて、これはすごいとビックリしました。
――駆けつけたアナウンサーの一人、新美アナウンサー。当日、どのような状況でしたか。
新美有加アナウンサー:
私は(アナウンサーで)6番目に到着したのですが、報道センターにいたのが2年目の松﨑涼佳アナウンサー、続いて3年目の小室瑛莉子アナウンサー、3年目の小山内鈴奈アナウンサー、1年目の東中健アナウンサーでした。
そんな中で中堅の木村拓也アナウンサーが来たことによってある程度、柱ができて周りが見えるようになってきた。
アナウンサーの中でもやはりお正月ということで、普段報道番組を担当していない人のスタンバイというのもありましたが、山田さんから見て、番組としての質は担保できていたと思いますか。
山田教授:
最初の立ち上がりはとても良かったと思います。
多少の問題として挙げるなら2つあります。1つは「震度7」は気象庁が観測史上でも片手の指プラスアルファぐらいしかない、非常に少ない最大震度です。
その震度7に対する考え方をもう少し局内で統一していても、よかったのかもしれないということ。
もう1つは今回の場合、「お正月だった」ということで(番組を)見る側からすると、土地勘がなかったり、観光で行っていたりという状況の中、マニュアル通りの一般的な報道でよかったのかどうか。今後、検証が必須かと思います。
(「週刊フジテレビ批評」1月13日放送より
聞き手:渡辺和洋アナウンサー、新美有加アナウンサー)