丸岡藩が誕生してから今年で400年が経った。その中心にあった丸岡城は、重要文化財の指定を受けている名城。姫路城や松本城などと並び、江戸時代以前に建てられ現存する全国に12しか無い“天守”の一つである。

まもなく北陸新幹線が延長され、多くの人が訪れるようになる丸岡城。別名「霞ヶ城」とも呼ばれ、春には満開の桜の中に城が浮かび上がるという。

その丸岡城がある福井県坂井市では、市とその住民が大切な天守を守ってきた。

現在は「国宝」の指定を目指し調査・研究をしている中で新たな事実も出てきているという。そんな丸岡城の歴史を掘り下げると、そこには現代社会に漂う閉塞感を打ち破るヒントがあった。

坂井市のシンボル・丸岡城

福井県坂井市にあった丸岡藩は、寛永元(1624)年の誕生から今年で400年を迎えた。

藩の中心であった丸岡城は、天正4(1576)年に一向一揆の備えとして織田信長の命により当地を治めていた柴田勝家が甥・勝豊に築かせたもの。

小高い丘にそびえる天守は全国でも12しかない現存天守の一つで、北陸では唯一。

外観は二階建てに見えるが、内部は三階建てだ。

丸岡城
丸岡城
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野面積(のづらづみ)と呼ばれる自然石を組み上げた石垣、瓦には福井市の足羽山で産出した笏谷石(しゃくだにいし)が使われているのが特徴で、一階内部には「石落し」や「狭間(さま)」と呼ばれる防御のための仕掛けもあり、戦国時代の武骨な面影を色濃く残している。

小ぶりながら、望楼型(ぼうろうがた)という古い建築様式の美しい姿はまちのシンボル。

別名「霞ヶ城」とも呼ばれ、周辺は400本のソメイヨシノが植えられた歴史公園に整備されており、桜の名所としても名高い。

幾度も乗り越えてきた消滅の危機

丸岡城は幾度もの消滅の危機を乗り越えてきた。

明治5(1872)年、全国の城が次々と取り壊される憂き目にあう中、丸岡城も城門や御殿は解体、天守は安値で民間に払い下げられた。

人々から「お天守」と呼ばれ親しまれてきた天守の行く末が案じられる中、立ち上がった地元の有志が、私財を出し合い天守を買い戻した。

それから丸岡城は寺として20年以上利用された後、町に寄贈され公会堂となり、このとき周囲に桜が植えられ、城山は人々の憩いの場となった。

天守は昭和9(1934)年、当時の国宝保存法により国宝(後の重要文化財)に指定。老朽化が激しい状況であったことから昭和15~17(1940~42)年にかけて解体修理が実施された。

しかし、戦後間もない昭和23(1948)年、丸岡城天守はまたしても消滅の危機に瀕した。

震災により倒壊した丸岡城天守『重要文化財丸岡城天守修理工事報告書(昭和30年)より』
震災により倒壊した丸岡城天守『重要文化財丸岡城天守修理工事報告書(昭和30年)より』

6月28日、マグニチュード7.1の福井地震が発生。直下型地震による被害は甚大で、丸岡城は石垣もろとも崩壊し、無残な姿となった。

再建は困難と思われた。しかし、まちのシンボルであり、心の拠り所でもある「お天守」の再建は人々の共通の願いであり、諦めなかった。

人々の熱い想いを受けた当時の町長は、住宅やインフラの復旧に目途が立つと、有志の募金確保に全国各地を奔走し、また、当時の文部省に日参して復興を陳情した。

震災の後、火災が発生せずに古材がそのまま保管されたこと、そして震災6年前に行った解体修理工事のときの膨大な記録と写真が残されていたことも幸いした。

総工費の6割の国庫補助を受け、復興工事は昭和26(1951)年に開始。保管していた古材の一つひとつを記録写真と照らし合わせる作業を地道に続けて、昭和30(1955)年3月に工事は竣工。

震災前と変わらない丸岡城天守の姿がよみがえった。工事では古材の約7~8割が生かされた。

国宝化に向け戦略の練り直し

坂井市は今、丸岡城天守の国宝化を目指している。

その一環として、専門家による丸岡城の学術調査・研究を2015年度から進め、城に関する様々な“ナゾ”に迫ってきた。

丸岡城
丸岡城

中でも、最大のナゾとされてきたのが天守の創建年代で、柴田勝豊による天正4(1576)年説と、丸岡藩初代藩主の本多成重が入城した後の慶長18(1613)年以降という2つの説が唱えられてきた。

今回の調査では、現在の天守に使われている柱や板など主要部材を、年輪、放射性炭素、酸素同位体という3つの科学的な手法を用いて年代を測定、その結果を総合的に判断して、江戸時代初期の寛永年間(1624~44)年に建てられたことが明らかにされた。

丸岡城はこれまで「現存する最古の天守」をアピールしてきたが、建築年代が特定され、また、寛永年間以前に築造された他の現存天守も存在することから、それができなくなった。

「一般社団法人丸岡城天守を国宝にする市民の会」理事の竹吉睦さん
「一般社団法人丸岡城天守を国宝にする市民の会」理事の竹吉睦さん

 「戦略の練り直しに迫られた」と語るのは、「一般社団法人丸岡城天守を国宝にする市民の会」理事の竹吉(たけよし)睦さん。

同会は2017年に設立、市や県と連携しながら、イベントの開催や、全国各地の城との外交、丸岡城に関する情報の提供など、様々な活動を行っている。

日本で最も“身近”なお城という魅力

「国宝化を目指す取り組みを進めるとともに、丸岡の歴史や伝統を踏まえ、お城を中心としたまちづくりをするのがわれわれの務めだと思っている」(竹吉さん)

長年、県内の高校で日本史の教師を務めてきた竹吉さんは、定年退職後に福井県立丸岡高校に復職。

現在も非常勤講師として働き、同会では教育分野担当を自認、同会も後援する「小中高丸岡城サミット」など、独創的なイベントを実施して次世代リーダーの育成にも力を注いでいる。

「すぐ近くに民家があり、そこにあることが当たり前になっているような、身近なお城は他県にはない」と、深く知るほどにその魅力を再認識している。

観光地としての丸岡城の魅力を磨き上げ、まち歩きを少しでも楽しんでもらえるように、「バスターミナルからの歴史と伝統を踏まえた動線を充実させたい」と、アイデアを温めている。

丸岡藩誕生400年の記念イベントを開催

毎年10月には、多くの市民が参加し、歴史と伝統を後世に伝え、特色あるまちづくりを推進するための祭典である「丸岡古城まつり」が盛大に開催される。

1969年に商工会が中心となり始まったこの祭りは、実行委員会により運営され2023年で54回目を数えた。

「丸岡古城まつり」越前丸岡武者行列
「丸岡古城まつり」越前丸岡武者行列

10月8日、丸岡城天守を間近に臨む「お天守前公園」に、手作りの鎧兜を身にまとった17名の歴代城主が集結。鬨(かちどき)の声をあげると、子ども奴(やっこ)を従えて周辺を練り歩く勇壮な武者行列が行われた。

鉄砲隊の演武も目玉の一つで、かつて丸岡藩有馬家が、元旦の明け六つ(午前6時頃)の時太鼓打ち切りを合図に、火縄銃による祝砲5発を放つ式を行っていたという史実にちなむもの。

多くの観客が見守る中、迫力満点の火縄銃による実射(空砲)を披露した。

「丸岡古城まつり」丸岡藩有馬鉄砲隊による演武
「丸岡古城まつり」丸岡藩有馬鉄砲隊による演武

丸岡藩誕生400年の今年、坂井市では丸岡城に関連する多彩な記念イベントを開催する。

桜の季節には「丸岡城桜まつり」が開催。「日本さくら名所100選」のひとつでもあり、桜と天守の競演は見事だ。

期間中の3月30日、31日は関連イベント、3月23日~4月13日には夜間ライトアップも実施される。

そして10月12日、13日は「第55回丸岡古城まつり」を開催。毎年恒例の甲冑時代行列などと併せて、丸岡藩誕生400年記念事業として、企画展示や講演会などの「城郭イベント」も開催される。

11月10日には「第17回坂井市古城マラソン」が開催。また、10月~11月(予定)には坂井市三国町の坂井市龍翔博物館で「丸岡藩誕生400年記念特別展」が行われる。

丸岡藩400年の歴史を体験できるイベントに参加して、当時に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

福井県坂井市 丸岡城国宝化推進事業
https://www.city.fukui-sakai.lg.jp/kanko-bunka/bunka/maruokajo/index.html