北九州で30年以上にわたりホームレス支援を行ってきた、NPO法人抱樸(ほうぼく)の理事長、奥田知志さん。奥田さんはいま、特定危険指定暴力団「工藤会」旧本部の跡地に複合型福祉施設を建設し、「怖いまち」と評されていた地を「希望のまち」に変えようとしている。

様々な葛藤や悩みを乗り越えて決断した背景を伺った。

ホームレスとは経済困窮だけでなく社会的孤立

「今年で路上生活者の支援は35年目。自立した方が3700人を超え、いまも千人以上のサポートをしています」

こう語るのは、NPO法人抱樸の理事長を務める奥田知志さんだ。奥田さんは大学生時代に大阪の釜ヶ崎で働く人々の支援活動に参加したのをきっかけに、ホームレス支援を始めた。

奥田さんが北九州でホームレスの人々に炊き出しをスタートしたのが1988年。当時北九州には多くのホームレスが生活をしており、1990年には中学生がホームレスを襲撃する事件が起きるなど社会問題となっていた。

奥田さんは1988年から北九州でホームレスの人々に炊き出しをしている
奥田さんは1988年から北九州でホームレスの人々に炊き出しをしている
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奥田さんは「ホームレスとは家=ハウスが無いという経済的困窮だけでなく、ホームが無い、帰るところがないという社会から孤立した状態」だという。

いまボランティアの登録者数は約2千人。「抱樸」とは、山から切り出された原木、樸(あらき)をそのまま抱き止める、つまり自己責任という言葉が横行する社会の中で、「誰をも抱き止める」ことを意味する。ホームレスの支援から始まった活動はいま、貧困や格差、孤立に苦しむ人々、障がい者や高齢者など生きづらさを抱えるあらゆる人々への伴走と支援に広がっている。

工藤会旧本部跡地を「希望のまち」に変える

そして奥田さんが目指すのが、「希望のまちプロジェクト」と名付けた複合型福祉施設の設立だ。

「北九州市のホームレスは官民共同の自立支援活動もあって2004年をピークに減り、いま就労率も6割近くになりました。しかし日本社会全体としてはホームレス=居場所がない孤立化が進んでいます。単身世帯が4割を占めて家族機能が失われつつあり、子どもの自殺件数は過去最悪を更新しています。ですから希望のまちでは、孤立する人がいない、助けてと言える、そしてひとりも取り残されないまちを創ります」

工藤会旧本部の跡地を抱樸が買い受けた
工藤会旧本部の跡地を抱樸が買い受けた

希望のまちがつくられるのは、暴力団「工藤会」の旧本部事務所の跡地だ。払い下げを引き受けた民間企業から抱樸が買い受け、資金は借入と寄付で賄った。しかしなぜ希望のまちの設立が暴力団本部の跡地だったのか?奥田さんはその理由をこう語る。

「実は2010年以降頃から福祉施設を建てるための土地を探していました。そこに、2019年に『跡地を民間企業に払い下げた』というニュースが飛び込んできたんですね。この地域は当時空き地だらけで、みんな怖いから近寄れなかった。だから風景を一変させて、昔ここに何があったか誰もわからないぐらいのものを創ろうと思いました」

跡地には地域住民の触れ合いの場が

建築予定地には地域住民と触れ合う場として、プレハブの拠点「SUBACO(すばこ)」を建てた。毎週火曜日には「にわカフェ」と名付けた無料カフェをオープンするほか、マルシェや地域の人々を「まちの先生」として月に2回講座を行っている。

「にわカフェ」は地域住民や学生らでにぎわっていた(2023年12月)
「にわカフェ」は地域住民や学生らでにぎわっていた(2023年12月)

筆者が2023年12月に取材した日は、「にわカフェ」でクリスマス会が行われ、地域の住民や学生が訪れてジュースを飲みながらワイワイと楽しんでいた。

希望のまちは3階建ての複合型福祉施設だ(提供:手塚建築研究所)
希望のまちは3階建ての複合型福祉施設だ(提供:手塚建築研究所)

希望のまちは3階建てで、1階には大ホールがあって地域の誰もが自由に利用できる。また子どもの学習支援や子どもの居場所となる「子ども・家族まるごと支援センター」、放課後デイサービス、ボランティアセンターの機能もあり、カフェレストランやキッチン、コワーキングプレスも併設される予定だ。また2~3階には個室の救護施設、シェルターもある。

「希望のまちは疑似家族、用事が無くても一緒に」

奥田さんは「希望のまちは疑似家族だ」という。

「希望のまちは『何か困ったら来てください、解決しましょう』という機能は当然ありますが、『用事がなくても来てください、一緒にいましょう』という場所です。疑似家族のように日常を共有しているからこそ、何か問題が起こった時にみんなが対処できることになるんですね」

地域が家族のようにお互いを支え合う。そのために抱樸では地域互助会をつくった。誰でも入会できて会費は月500円。現在270人の会員がいて、そのうち100人が元ホームレスの当事者だという。一人暮らしの見守りや、病気になった時のお見舞い、そして看取りや葬儀も行う。

「葬式を出す人がいないとアパートが借りられない。こうした社会問題がすでに明らかになっているのです。だから互助会では葬儀も行います」

奥田さんが牧師を務める教会では、亡くなったホームレスの人たちの遺影が飾られている
奥田さんが牧師を務める教会では、亡くなったホームレスの人たちの遺影が飾られている

奥田さんは30年以上前に起こった、中学生によるホームレス襲撃事件のことを考える。

「当時、進学も就職もせず、居場所のなかったこどもたちの一部が、暴力団に流れたかもしれない。戦争も構図は一緒で、貧しさや寂しさ、学のなさが重なると、人は自己有用感を求めて兵士になって戦場に行きます。二度と若者が戦場に行く、暴力団に入る選択肢を無くしたい。『希望のまちに来たらなんとかする』という場にしたいと思います」

能登半島で涙した「娘の誕生日のケーキ」

元日に能登半島を襲った震度7の地震では、奥田さんも現地入りし、支援活動にあたっている。奥田さんは、協働しているグリーンコープのスタッフからの報告に涙したという。

その報告は、「先日の出来事ですが、避難されている小学生のお子さんを持つお母さんから『明日、娘が誕生日なのでケーキが必要です、そんなことは無理ですよね』と言われましたので、翌日避難所にいるお子さん全員分のケーキを届けました」というものだった。

奥田さんはこう語る。

「単にケーキが食べたいというのではありません。主食の確保もままならない避難所ではお菓子の入手が困難であることは事実ですが、そういうことではなく『娘の誕生日のケーキ』です。
娘が生きているという事実、誕生日を迎えたという喜びがこの状況において何よりも大切で、それを娘と喜ぶことが出来る意味は大きいのです。現場のスタッフが、出会った責任を果そうとしているのは本当にすばらしく、頭が下がります」

奥田さんらは能登半島地震の被災地で支援活動にあたっている
奥田さんらは能登半島地震の被災地で支援活動にあたっている

奥田さんは「被害は深刻で先が見えないが、誕生日ケーキを大事にする活動を続けたい」という。奥田さんなら、怖いまちを希望のまちに変えてくれるはずだ。希望のまちは2025年春頃の竣工を目指している。
【執筆:フジテレビ解説委員 鈴木款】

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。