ハスキーな歌声で「演歌の女王」と呼ばれた八代亜紀さんが、去年12月30日に、急速進行性間質性肺炎のため亡くなっていたことがわかりました。73歳でした。

この記事の画像(16枚)

八代さんは去年9月、膠原病と診断されたことを公表し、年内の活動休止を発表。それからわずか4カ月ほどで帰らぬ人となりました。

生前、フジテレビのインタビューに「私は代弁者」と話していた八代さん。その人生を追いました。

八代さんの原点“キャバレーニュー白馬”

熊本県八代市出身の八代さんは、1971年に歌手デビュー。
1973年の「なみだ恋」が大ヒットを記録し、以来半世紀、レコード・CDの総売り上げ枚数は、女性演歌歌手として歴代1位。艶のある歌声で日本を魅了し続けました。

その原点となった場所があります。

八代さんのふるさと、熊本県八代市にある「キャバレーニュー白馬」。デビュー前の八代さんが、初めてステージに立った場所です。

キャバレーニュー白馬代表:
私たちも亜紀ちゃんは宝ですよ。同じ家族ですよ。本当家族が亡くなったって言われてもびっくり、がっくり、ショックですよ。

八代さんが白馬のステージに立ったきっかけは、意外なことでした。

キャバレーニュー白馬代表:
(八代さんが)バスガイドに就職して、ガイドでバスの中で歌う度胸試しをするためにうちで歌っていたんですよね。

「キャバレーニュー白馬」のステージ
「キャバレーニュー白馬」のステージ

しかし、キャバレーで歌っていることが、父親の知るところとなったことで、彼女に転機が訪れます。

キャバレーニュー白馬代表:
まあ、親父にみつかって、勘当みたいにして、まあ東京に。(八代さんが)15、6か。16じゃなかろうかな。

プロモーションビデオ撮影のために、キャバレーニュー白馬を訪れた八代さん(当時65歳)
プロモーションビデオ撮影のために、キャバレーニュー白馬を訪れた八代さん(当時65歳)

2015年にプロモーションビデオの撮影のため、このキャバレーを訪れた八代さんは、原点となったこの場所について自身の思いをこう語っていました。

八代亜紀さん:
3日間というね、16歳になったばかりの亜紀ちゃんが、父をごまかして歌ったという場所ではあるけども。
ここからがスタート、ここから、将来の八代亜紀が生まれたって、まさに八代亜紀の聖地ですね。16歳で、大胆ですよね考えたら。怖いよね。できないよね、普通。やってたんだね、亜紀ちゃん、ね。

――キャバレー白馬って特別なところですか?

八代亜紀さん:
だって、それがあったから、自分のこの声に自信持ったっていうか。実はそれ以前は、父譲りのハスキーなこの声が嫌いだったんですよ。
なんか自分だけ違う声だなと、みんな可愛らしい声を出しているのに、自分だけがハスキーだなとすごく、すごく嫌だったの。
(キャバレーニュー白馬で)歌い始めたら、その姉さんたちはホステスの姉さんたち、お客さんたちが全員立ち上がって、フロアに出てきて、ダンスが始まった。
で、それでもうその時初めて「いい声じゃん」と。嫌いだったんですけど、あらいい声じゃんと。

実は、歌手になる前、自分の声がコンプレックスだったという八代さん。

しかし、デビュー後は、その父親譲りの「ハスキーボイス」が八代さんの最大の武器となったのです。

故郷熊本への“思い”

上京後ヒット曲を連発し、一躍スター歌手となった八代さん。それでも、芸名の由来となった故郷・熊本への思いは強かったといいます。

2011年 東日本大震災の被災地を訪問する八代さん
2011年 東日本大震災の被災地を訪問する八代さん

東日本大震災の被災地を訪れた際には、体育館で寒さに震える被災者に、故郷・八代産の数千枚の畳を届け、その心遣いに涙する被災者も。

2020年の熊本豪雨災害の際には故郷を訪問。その歌声で被災者を激励しました。

八代さんが里帰りするたびに訪れていたという八代市のラーメン店の店主は「めざまし8」の取材にこう話します。

里帰りの度に通っていたラーメン店の店主:
ラーメンが好きで豚骨ラーメンばかり食べていました。ものすごく優しかった人だったもんね。言葉では言い表せないさみしさがあります。みんなよくしてもらっているからですね。

「私は代弁者」伝え続けた「ありがとう」

演歌以外にも、ブルースやジャズ、ロックまで幅広いジャンルを歌いこなしていた八代さん。歌手としての自分についてこんなことも語っていました。

八代亜紀さん:
私は代弁者なのね、代弁者なの。で、すごく毎日幸せなのね。毎日毎日すごく幸せなの。
この幸せをこの声でね、つらい人が聞いたときにね、悲しい歌聞いたときに、ちょっとこの幸せの声音をだしてあげて歌うの。
そうすると、悲しい人がね、「あ、悲しそう。自分よりもっと悲しい人がいるんだ」なんなら「自分のつらさは大したことないじゃん」と思ってもらえると、信じているのです。

【八代亜紀さん所属事務所より】

代弁者として歌を歌い、表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中で、常に大切にしていた言葉は「ありがとう」でした。

「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」という父と母からの教えを八代自身は体現し続けて参りました。

療養期間中も傍で支えるスタッフや医療従事者の皆様に「みんなありがとう」と感謝を伝え、最期まで八代亜紀らしい人柄が滲み出ておりました。

これから先 いつまでも八代亜紀が命を吹き込んだ作品の数々が沢山の人達に愛され、皆様の心の中に生き続けることを八代自身も望んでいると思います。

今まで応援してくださったファンの皆様、関係者の皆様に、心より深く感謝御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

(めざまし8 1月10日放送)