2022年2月1日に亡くなった石原慎太郎元東京都知事。その石原氏が暮らした東京・田園調布の自宅が今、解体されている。
作家として、国会議員として、都知事として、日本社会に大きな足跡を残した石原氏。筆者が石原氏と初めて会ったのがこの家だった。中の様子は今でも鮮明に覚えている。
玄関は1人住めそうな大きさ
1999年、都知事選に立候補する直前の石原氏にインタビューするために訪れた。
この記事の画像(5枚)私はまだ20代の新人記者で、私を送り出した先輩から、むちゃくちゃ怖い政治家だと耳にたこができるほど聞かされていたので、ドキドキしながらインターホンを鳴らした。
大きくて重たい玄関のドアをあけると、石原さんがにこにこして立っていた。
サマーセーターのようなカジュアルな姿で、私がフジテレビの記者だと名乗ると、「おっ。どうも。どうぞあがってください」と優しく声をかけてくれた。
なんだよ優しいおじさんじゃないか、というのが私の第一印象だった。
石原邸の玄関は、人1人住めるほど大きさがあった。玄関入って右に小部屋があってこの部屋は何に使うんだろうと思っていたが、石原氏が都知事になったあとは、SPの待機場所として使われているようだった。さて、石原さんに促されて玄関から家にあがると、玄関を左に折れて奥に入っていく。
その先にかなり広めのリビングルームがあり、テレビが見られるようにサークル状にソファが配置されていた。一度に15人以上は座れそうなソファだったと思う。リビングの窓の外には庭があり、庭には、椅子とテーブルが配置されていた。
部屋の脇にはお酒が飲めるようなカウンターもあった。
石原氏に案内されてリビングの巨大なソファ群の一角に座ると、奥様の典子夫人がにこにこした表情で現れ、お茶を出してくださった。
インタビューでは都知事に立候補する理由からスポーツや趣味についても聞いた。石原氏は、自分の映っているヨットやテニスの動画を見せようと、テレビの下にあるビデオ棚からビデオを何本か取り出し、ビデオデッキに差し込み再生して見せてくれた。
こののち、筆者は約5年にわたり石原番をすることになるのだが、こんなホスピタリティーを受けたのはこのときだけである。その後、都知事になったあとは、マイクを向けても素通りされたり、カメラを向けると、すごい剣幕で撮るな、と言われたり…。石原さんは怒ると迫力があった。
典子夫人にもインタビュー
典子夫人にもインタビューした。典子夫人によると、石原氏の朝食は朝起きてから決まるので用意するのが大変だと語り、ミキサーで作る野菜ミックスジュースを飲んでいる、と教えてくれた(1999年当時)。
そしてカウンターそばにある2階にあがる階段を指さしながら、「2階に書斎があるんですが、なにか思いつくと、お客様との会話の途中でも、急に席をたって二階にあがったっきり戻ってこないこともあるんですよ」と笑いながら語ってくれたことを覚えている。典子夫人は石原氏のあとを追うようにして、石原氏の死後、およそ1カ月後に亡くなられた。
石原氏とは当時フジテレビの番組「報道2001」に出演することが多かったこともあり、何度かお酒を飲んだことがある。
マッカランが好きで、多いときは1晩で1本飲み干したことがあった。
大勢で飲んでいると、突然「誰か一芸ができるやつはいないのか?」といって、石原氏の関係者が尺八を吹いたり、踊ったり、お祭り騒ぎになることもあった。
飲み会の最中に、「君は哲学は何を学ぶ学問だと思う?」と聞かれたことがあった。突然の質問で答えに窮していると、「時間だよ、時間」だと答えを教えてくれたのだが、こちらは何のことかさっぱりわからないまま。
このように脈絡もなく、急に話題を振ってくることが何度かあった。
最後の年末年始は息子たちと…
石原氏は晩年、足が悪くなり車椅子で生活するようになるが、田園調布の家で暮らし続けた。たとえ陸にあっても、石原氏の気持ちの多くは、いつも海にあった。
そんな石原氏を支え続けていたのは、1999年の都知事選挙で参謀を務めた元東急エージェンシー・今岡又彦氏だ。
今岡氏は石原氏所有のヨットのスキッパーでもあった。
ヨットはヨットでもレースに出場する本格派で1週間以上外洋にでるのは当たり前。
時には生きるか死ぬかの大しけの海に遭遇することがあったといい、そのたびに励まし合い荒波をくぐり抜けてきた石原氏と今岡氏。
2人の互いに命を委ねられる信頼関係は、石原氏が息を引き取るまで続いていた。
息子たちとの最後の思い出もこの家だった。
最晩年、石原氏の身の回りの世話は、今岡氏の後輩たちが対応していたが、最後の年末年始は、息子4人に、かわるがわる世話をしてもらって過ごしたという。
それが、この家で親子で過ごした最後の時間となった。
生前、「人間は死ねば意識がなくなるので、死ねばそれっきり。もう全部、虚無。全く何もなくなる」と語っていた、石原慎太郎さん。
遺言状には、「葬式不要、戒名不要、わが骨は必ず海に散らせ」と記されていたという。石原ファミリーが時を刻んだ石原邸は、慎太郎氏の遺骨と同様、無に還る。