ロシアのウクライナ侵攻から約1年半。ウクライナでは、民間人の死傷者が2万3,000人以上いるともいわれている。そんな中、祖国を離れ日本で生活するウクライナ人女性がいる。彼女が今、愛媛で思うこととは。

息子と2人でウクライナから愛媛へ

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
戦争が終わって早くウクライナに戻って、家族で一緒に暮らしたい

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ウクライナから避難民として日本に来ているイリナ・ボロンケビッチさんは、愛媛・東温市のレスパスシティで開かれている、ワールドドリームサーカスのダンサーだ。イリナさんはロシアのウクライナ侵攻が始まってまもない2022年3月、故郷に家族を残し、2歳の息子・マキシム君と2人で日本にやってきた。

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
ウクライナの街は破壊され、家族や子どもたちたくさんの人が亡くなっています。ウクライナは危険なので日本に避難するようにと、私の夫が決めたんです。こっちにいるほうがまだ安全でいいからって

ウクライナで暮らす夫とは1日2回連絡を取り合う

イリナさんの1日は、家族の安否を確認することから始まる。遠く離れたウクライナで暮らす夫・バシリさんとは1日2回、連絡を取り合っている。

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
1日2回、こうやって朝と夕方に話しているの

できることなら家族みんなで暮らしたい。しかし、ウクライナでは国民総動員令により18歳~60歳の男性は出国が禁じられている。イリナさんの家があるのは、ウクライナ西部のテルノーピリ州。都キーウから280km以上離れていて、比較的安全な場所だという。

イリナさんの夫・バシリさん:
戦地にいく可能性はあるよ。可能性は高い。僕が必要になったら呼ばれるだろうから、いかなる場合でも兵隊として行かなきゃ。ただ家族一緒にいられることを望みますし、それが僕の夢です

実家のあるへルソン州は大きな被害を受け、イリナさんの両親は夫のもとへ避難している。夫や両親が暮らすウクライナを離れ、遠い異国の地・日本で避難生活を送るイリナさん。寂しさと不安を胸に、日々を過ごしてきた。

1年3カ月ぶりの家族の時間

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
夫に会いたいし、夫も長い間マキシムに会えてないしね

2023年5月、イリナさんと息子のマキシムくんは、1年3カ月ぶりにウクライナに一時帰国。バスから降りて抱き合った。

ーーなぜこのタイミングで一時帰国を?

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
5月は夫の誕生日で、6月15日は結婚9周年記念日だったので、一緒にお祝いしたいと思ったの

ウクライナでのおよそ1カ月の滞在期間中、緊張の糸が切れることはなかったという。

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
毎日毎日、空襲警報が鳴っていました。マキシムに「あの音は何?」と聞かれて、どこかでパトカーのサイレンが鳴ったのよと言ったの。それで息子が納得してくれたんです。ウクライナの子どもたちはアンハッピーだと思う。どんな戦争も良くない。普通じゃない。ウクライナだけでなく、他の地域で起こっている戦争も早く終わってほしい

一方で、家族との再会はかけがえのない時間でもあった。

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
いろんな人にもう一度会えてうれしかった。息子は毎日パパと一緒に遊んで、毎朝「パパ起きて」と起こしに行っていました。とってもうれしかった

家族と一緒に暮らせる未来を信じて

6月、イリナさん親子が愛媛に戻ってきた。サーカスの仲間たちも2人の帰りを待っていてくれた。

ーー今、どう感じていますか?

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
帰ってこられてとってもうれしいです、ここに来たら普通の生活が待っているので

ーーいつから働くの?

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
明日。モンダイアリマセン!明日から仕事できます。ここにコスチュームもあるしね。お金も稼がなきゃいけないしね

日々刻々と変化する戦況は先が見えない。8,000km以上離れた異国の地で、イリナさんは、きょうもステージに立っている。

ウクライナからの避難民 イリナ・ボロンケビッチさん:
ステージに立っている3分だけは忘れられるかな。だって皆に笑顔を届けないといけないからね

家族と一緒に暮らせる時がきっとくると信じて…。イリナさんは今できることに全力だ。

(テレビ愛媛)

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