「県警VS工藤会」 元刑事が明かす戦いの軌跡

「北九州は『暴力の街』『修羅の国』と呼ばれ、繁華街を工藤会組員が大手を振って歩いていた。まさにやりたい放題だった」

5月に発売された一冊の本が、いま話題だ。タイトルは「県警VS暴力団」。

福岡県警と特定危険指定暴力団・工藤会の30年余りにわたる戦いの軌跡が、元刑事の視点で生々しくつづられている。

本の著者は、工藤会対策の最前線である福岡県警「北九州地区暴力団犯罪捜査課」の元課長、藪正孝(やぶ・まさたか)さん。

特定危険指定暴力団・工藤会に、当時の刑事たちはどう立ち向かったのか。

藪正孝さん:
元捜査第四課の警部宅を工藤会幹部が放火して全焼させたりとか、警察宿舎に工藤会が爆弾を仕掛けたりとかありました。脅されることもありますよ。取り調べ中も、相手は面と向かって「あんたも、たいがいしとかんと、あんたもいつまでも警察官でおるわけないやろうが」とか言ってきますね。私の知っているベテランの捜査員は、「おっ?やるならやればいい」そう言い返していました

1994年 工藤会が利権拡大 銃弾・手りゅう弾で襲撃

藪さんが工藤会事件に関わり始めたのは、26年前にさかのぼる。
当時、工藤会は、溝下秀男総長体制のもと、利権拡大の動きを活発化させていた。

1994年秋には、北九州市を中心にパチンコ店などに銃弾を浴びせ、組織の恐ろしさを誇示。
さらに1998年には、港の公共工事への介入を断った元漁協組合長を射殺するなど、卑劣で凶悪な襲撃事件を立て続けに起こした。

これに対し、県警は捜査員を大量動員し、取り締まりを強化。
だが事件の発生は止まらなかった。

――当時は工藤会の勢いを止められなかった?

藪正孝さん:
結局、取り締まりだけなら限界がある。何よりも組織的犯罪ですから、実行犯を仮に捕まえることができても、その“根”を断つことができない。ならば、彼らがこれ以上市民に迷惑をかけないように、いかに押さえつけるか。それを頑張っていこうと、そういう考え方だった

2000年、工藤会は溝下会長が組の運営から退き、野村悟被告を中心とした体制を確立した。
野村被告は、腹心の田上不美夫(たのうえ・ふみお)被告と北九州の利権を掌握していく。

藪正孝さん:
溝下総裁の場合は、社会と共存していこうと。地域と共存していこうという考えも少しはあったのかなと。ただし、やっぱり悪人です。現総裁の野村被告は、自分の力を過信したのかなと。怖いものがなくなったのではないかという印象はある

2003年、暴追運動の先頭に立つ男性が経営する飲食店「ぼおるど」に工藤会系組員が手りゅう弾を投げ込み、12人が重軽傷を負った。

藪正孝さん:
正直、ここまでやるかと。被害に遭われた女性たちに何の責任がある。たまたまそのクラブで働いていただけだ。中には、足首が裂けたり、上半身をやけどしたり、酷いけがをされた女性の方が何人もいる。何故この人たちが、こんな酷い目に遭わないといけないのか。工藤会が存在する限り、暴力団が存在する限り、このような事件がまた絶対繰り返される。ならば、暴力団・工藤会を壊滅するしかない。たとえどんなに難しくても

福岡県警の刑事と工藤会総裁が会談

そんな最中、工藤会の溝下総裁が藪さんに会談を持ちかけてきたという。

藪正孝さん:
向こうから会いたいという話だから、それはちょうどいいやと

会談冒頭、溝下総裁は「工藤会が街の治安維持に一役かっている」と言わんばかりに身勝手な持論を展開した。

溝下総裁:
工藤会がいるから、北九州には不良外国人や菱(※山口組)が入ってこない

藪さんはこれに反論した。

藪正孝さん:
ヤクザは嫌いだと手を挙げられますか、この北九州で。北九州の問題は、工藤会以外の選択肢がないことですよ

藪さんは市民が工藤会を恐れ、要求を拒めない現状を指摘し、さらに「ぼおるど」襲撃事件も非難した。対する溝下総裁は、警察批判を始めた。

溝下総裁:
正直なところ、警察にはもっと威厳をもってもらいたい。我々を手のひらの上で遊ばせるくらいの度量があってもいいでしょう

藪さんはこれを突っぱねた。

藪正孝さん:
警察とヤクザは水と油だ。仲良くしたり、手心を加えるなんてあり得ない

(「県警VS暴力団」より抜粋)

藪正孝さん:
10数年前まで、工藤会の組員が小倉や八幡西区黒崎の繁華街を、黒背広を着て10人くらいで夜回りといって、夜威圧活動をしていた。当時は、一部の市民が「あまり制服の警察官がいると客がこない」と。「工藤会は迷惑をかけない」という方もいらっしゃいましたけど、多くの方が工藤会の言うことを聞いていたからだと

――建設業にメスを入れた狙いは?

藪正孝さん:
暴力団と関わらざる得ない方々がいる。この方たちに「暴排」と言っても、効果はほとんどなかった。かなりの業者が工藤会に積極的にお金を持って行っているのが見えた。暴力団に積極的にお金を持っていくところは、暴力団を支えている。暴力団の協力者ですから、それならば一部の業者もたたかなければいけない。工藤会と結託している悪質な業者は徹底的に取り締まった。多くの業者が工藤会との関係を切った。工藤会は焦った。当時は北九州で大きな工事があると、工藤会の関係企業が下請けに入る。一部のゼネコンは、北九州で大型工事をやると、工藤会と関係の業者を下請けに入れる。建築の場合は、当時1%、例えば10億円の工事をやると1000万円。土木が1.5~2%、解体工事は5%。工藤会のみかじめ料として10億円の1%、1000万円を予め組み込んで建設業者の関係企業に払う

2010年 暴追の転換期 暴排運動に市民も

2010年、工藤会は「長野会館」と名付けた新事務所を設置。

建物のすぐ傍には幼稚園や小学校があることから、市民たちは組事務所の撤去を求めて立ち上がった。

工藤会はいつもの手段に出た。
工藤会は、事務所撤去運動に参加していた自治会長の自宅に6発の銃弾を撃ち込む。

しかし、これに市民がひるむことはなかった。
むしろ怒りの声が高まり…

約1年にわたる暴排運動を受け、工藤会は事務所を撤去。建物は老人ホームに生まれ変わった。
市民の完全勝利だった。

藪正孝さん:
住民の方はどこまでついてきてくれるのかなと、率直な不安があった。ところが住民の方は、最後までついてきてくれた

――そこから暴追の機運は変わった?

藪正孝さん:
あれは大きな転換点だったと思う

2012年、国は暴力団対策法を改正し、工藤会を全国で唯一の特定危険指定暴力団に指定した。

その2年後…

2014年、福岡県警は、野村被告ら工藤会トップを相次いで摘発する「頂上作戦」をスタート。
工藤会に大きな打撃を与えた。

頂上作戦から6年 工藤会の今後は…

頂上作戦スタートから6年、「北九州の負の遺産」とまで言われた本部事務所は解体され、更地となった。

工藤会を離脱する組員も後を絶たない。

薮正孝さん:
暴力団が市民に対して酷いことをやる。だから警察も、それに全力を注がざるを得なかった。結果的に、それを市民や行政も支えてくれた。それが今の工藤会の現状。だからここまでできた。福岡県警の暴力団対策を一言でいえば、鮮明な対決姿勢ですね

――工藤会はどうなっていくのか?

薮正孝さん:
簡単にはなくならないのではないかな。工藤会にしがみついていく者もかなり残るのではないか。個人的には、そう思っている

――壊滅は難しい?

薮正孝さん:
簡単にはいかない

(テレビ西日本)

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