8月12日にアジア・日本初開催となった「ストリートリーグ東京大会(2023 SLS CHAMPIONSHIP TOUR - TOKYO presented by Nikon)」。

東京五輪金メダリストの堀米雄斗(24)と、日本が誇る“モンスター” 池田大暉(17)が、この世界最高峰の舞台でワンツーフィニッシュの快挙を成し遂げた。

そんな彼らには、同じスケートパークで練習に励んでいたという共通点があった。

スケートボード史に残る1日

堀米は大会初披露となる新技「ユウトルネード(ノーリーバックサイド270ノーズスライド 270アウト)」という衝撃のトリックを決めて優勝。

池田は大会2日前に急遽ポルトガルのグスタボ・リベイロに代わってSLS初出場が決定した。

何の準備もしていなかったとは思えないほどの、堂々とした滑りで予選を突破すると、その勢いはさらに加速。

決勝でも最高の滑りを披露し、堀米には及ばなかったものの、SLSで24回の優勝を誇る“キング・オブ・キングス”アメリカのナイジャ・ヒューストンを抑えて準優勝に輝いたのだ。

ストリートリーグ東京大会の表彰式(8月12日)
ストリートリーグ東京大会の表彰式(8月12日)
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これはもう快挙以上であり、彼らをたたえる言葉が見つからないほどの夢のようなできごとだ。

ちなみに池田は2022年に千葉で行われた「X Games Chiba」でも初出場(アマチュアクラスには過去出場有り)にも関わらず、堀米に続いて準優勝をおさめている(この時の3位は今大会怪我で棄権した白井空良)。

2人が育った伝説のスケートパーク

そんな歴史的ワンツーフィニッシュを飾った2人には、ある共通点がある。

それは2人とも、「ムラサキパーク東京」というスケートパークで技を磨いてきたローカルスケーターという点だ。

ムラサキパーク東京
ムラサキパーク東京

この「ムラサキパーク東京」は、ローカルスケーターらから“ムラパー”の愛称で呼ばれている。

東京都足立区千住関谷町のアメージングスクエアという施設内に位置し、もともとは1996年7月にYOMIスケートパークとしてオープン。

その後、他の経営者を経て2009年にムラサキスポーツに運営が変わり、2023年5月にパークが閉店となるまで、数々の大会やイベントが開催され、多くの実力派スケーターを輩出してきた伝説のスケートパークだった。

しかし、今年5月に地域の再開発により、惜しまれつつも閉店となってしまった。

この伝説のスケートパークには今回のストリートリーグ東京大会に出場し、2019年にアジア・日本人初のSLS年間王者となる、スーパークラウンに輝いた西村碧莉も幼少期から海外へ拠点を移すまで、このスケートパークで技を磨いてきた。

日本中どこを探しても見つからないようなレジェンドスケートパークが「ムラサキパーク東京」だったのだ。

なぜムラサキパーク東京だったのか?

なぜ「ムラサキパーク東京」からこんなにも多くの超実力派スケーターらが生まれてきたのか。

堀米はもともとスケーターだった父親の勧めもあり、バーチカル(スノーボードのハーフパイプのような形をしたセクション)のライダーとしてスケートボードの力をつけていった。

その後、あるプロスケーターの誘いがきっかけでストリートの大会にも出場していくことになるが、そもそもこのバーチカルが設置されたスケートパーク自体が、関東でも珍しかった。

ムラサキパーク東京のバーチカル
ムラサキパーク東京のバーチカル

その後ストリートの大会にも出場するようになるが、バーチカルと豊富なストリートのコースが併設されているスケートパークが当時はもっと珍しかった。

この両方を兼ね備えたスケートパークが「ムラサキパーク東京」だった。

そして、ここに集まる仲間や周りの大人たちがいたからこそ、のちに世界の頂点に立つ天才が誕生したのである。

ムラサキパーク東京の室内パーク建設途中の写真
ムラサキパーク東京の室内パーク建設途中の写真

さらに2014年からは、施設内に全天候型の室内スケートパークがオープンする。どんな天気でも思う存分練習できるようになったという点も大きかった。

そしてこの室内スケートパークのセクションを設計し、作り上げたのが立本和樹というプロスケーターだ。

立本和樹と堀米雄斗 SLS東京にて
立本和樹と堀米雄斗 SLS東京にて

このスケートパークには世界で戦うために必要となる練習設備が整っており、彼はそのノウハウを知っていたからこそ、この室内パークが生まれた。

そして当時、バーチカルのライダーとして活躍していた堀米を、「ストリートの大会にも出てみないか?」と誘ったのも、当時ここでスタッフをしていた立本だったのだ。

堀米がバーチカルの大会に出ていた頃は、日本のバーチ第一人者である小川元の存在も大きかった。

ストリートに転向してからは、日本から世界への橋渡し役として支え続けた、現スケートボード日本代表チーム・早川大輔コーチをはじめとした、多くの先輩スケーターらの協力や、彼の才能に魅了され、惜しみないサポートを続けた関係者ら、数多くの人たちの介在と、スケートボードが好きでたまらない少年の途方もない努力の先に、“堀米雄斗”という天才がいるのだ。

今回の堀米と池田の感動的なワンツーフィニッシュの裏に存在する、今はなきスケートパークと彼らをサポートしてきた多くのスケーターたち。

いくつもの運命的な出会いやできごとが重なり、その全てが1つの形となって輝いた大会、それがストリートリーグ東京大会だったのだ。

写真・文 小嶋勝美
ムラサキパーク東京のローカルスケーターでスケートボード放送作家