マイナ保険証で不正はなくなるが
岸田文雄首相は4日の会見で、マイナ保険証への移行に伴う現行の保険証の廃止を延期しないことを明らかにしたが、これ自体はなかなかナイスな決断だ。
マイナ保険証を不安に思っている人がたくさんいることはわかるが、情報の漏洩や「なりすまし」などの不正はむしろマイナになることで、従来の保険証よりはるかにリスクが減ることは、時間をかけて説明すれば理解されると思う。
問題は「マイナがなければ保険医療が受けられないのではないか」という不安にどう応えるかという話だったのだが、保険証の代わりになる「資格確認書」が保険証と同程度の有効期間を持つことになった。これで資格確認書が保険証と同様の扱いになる。
たとえば家族と離れて高齢者施設に住む認知症の人は、写真を撮りに行ったり、2種類の暗証番号が必要なことを考えるとマイナカードを持つのは大変だ。この人たちは資格確認書でこれまで通り保険医療を受けられる。
やはり岸田氏は最初から「マイナを持つのが大変なおじいちゃん、おばあちゃんはマイナなしで大丈夫ですよ」と言っておくべきだった。でも少し時間はかかったがこれで不安はかなり減るだろう。
事実上の「保険証存続」ではないか
政府は「親切」なことにマイナを持っていてもマイナ保険証がイヤな人には資格確認書を発行してくれるという。これでは事実上の「保険証存続」と言っていいのではないか。マイナを持っているがマイナを嫌いな知人女性に聞いてみた。
「資格確認書もらう?」
「マイナ保険証でお金引き出されたりするならイヤ」
「貴女はマイナに預金口座ひもづけてないのでありえない」
「じゃあマイナ保険証でいい」
「医療情報漏洩を指摘する声もあるが気になるか」
「ならない」
とのことだった。
彼女の意見を聞く限り、マイナを取れない人、マイナを絶対取りたくない人以外はマイナ保険証を使うのではないかと思った。それでも組織的に資格確認書を取る運動とか起きそうだ。
この記事の画像(5枚)問題はこの日本政府の「すべての人に対して親切」な態度が、費用を増やし、ひいてはデジタル化の阻害要因になるという事だ。
たとえばこの資格確認書の「発行料」は誰が払うのか。本人負担はないだろうから税金もしくは保険料から払われるのだろう。つまり資格確認書を使わない人も、使う人のための費用を負担しなければならない。
もう一つは資格確認書発行に伴う、たとえば手入力で何かを打ち込むとか、様々な事務作業の費用もまた税金や保険料から支払われる。費用だけでなく人手もかかるのでデジタル化のスピードが落ちる。こちらの方が問題かもしれない。
また顔写真と暗証番号というセーフティーネットをもっているマイナ保険証に、それらがない資格確認書が「混じる」ことによって安全性が保たれなくなる恐れがある。
マイナの利便性、必要性を頭で理解している人は多分たくさんいると思うのだが、マイナができてから6年、手間が増える割にこれまで何か役に立ったことは実はほぼない。デジタル化の遅さにイライラ、というかほぼ絶望している人もまた多いのではないか。
超高齢社会はデジタルなしで回らない
それでもこの国にデジタル化してほしいと思う。それはあと1年で前期高齢者になる筆者にとっては、デジタル社会の方が断然暮らしやすいからだ。アクティビティが高い若者はアナログでも別に平気だ。だから世論調査で若者がデジタル化を希望し、高齢者がそれを嫌がっているという話を聞くと、それは逆だろ!と言いたくなる。
スマホを使いこなす若者はデジタルの便利さを知っているだろう。一方でガラケーで十分な高齢者はデジタルにあまり関心がなく、彼らが世のデジタル化を阻止してるのであれば、巻き添えにされる人たちはたまったものではない。一部の政党やメディアが「反デジタル」のスピーカー役を果たしているのも大きい。
日本は「小さい島国」と誤解している人が多いが、実は南北に長い人口1億2000万人の巨大国家だ。経済、教育、価値観、全て多様で民主主義が発達し、報道の自由が保障されている。この巨大国家をデジタル化するのは大変だ。だがやらねばならない。
数日前に港区内の眼科に行ったらマイナ保険証はまだ使えず、「普通の保険証でお願いします」と言われた。東京のど真ん中でもこれが普通なので、いまだに病院にはマイナと普通の保険証と2枚持っていかねばならないということを河野太郎デジタル相はご存じか。
デジタル化は引くところは引くが、押すところは死に物狂いで押さないと、永遠に実現できない。それができるのは政治家だ。岸田氏と河野氏には頑張ってほしい。
【執筆:フジテレビ上席解説委員 平井文夫】