19人が犠牲となった水俣土石流災害から7月20日で20年。当日の朝は、遺族や地域住民などが慰霊碑を訪れ、手を合わせた。
19人が犠牲に 水俣土石流災害
20年前の2003年7月20日、未明から降り続いた大雨で熊本県水俣市の宝川内集地区と深川新屋敷地区で土石流が発生した。

土石流は多くの住宅をのみ込み、2つの地区で計19人が犠牲となった。
このうち15人が亡くなった宝川内集地区では、土石流が発生した午前4時20分ごろに合わせて、遺族や地域住民が慰霊碑を訪れ、静かに手を合わせていた。

「つらい思いを忘れてはいけない」
被災者の会・会長の吉海寿次さんは、20年前の当日、消防団員として住民の避難誘導などにあたるため、家族4人を家に残し格納庫に待機していた。
被災者の会 吉海寿次会長:
ずっとサイレンが鳴り続いてこれは何かあったぞと、おかしいなと格納庫からこの地区を見たらいつも緑なのが茶色だったんです。私の家も隣近所も全て流されて、家の基礎だけが残った状態でした

吉海さんの2人の子どもは一命を取り留めたが、妻と母親は遺体で見つかった。
被災者の会 吉海寿次会長:
毎日毎日が何からすればいいのか次は何をしようかとそれで一杯いっぱいでした。私たちにとって一生忘れてはならない、忘れられない日だと思います。このつらい思いを忘れてはいけないという気持ちで毎年この日を迎えています
当時は情報連絡体制が取れず
水俣市・危機管理監の長谷川勝さんは「当時の資料など見ると情報連絡体制が取れていなかったり、色々なところから気象情報をとる仕組みがほとんど意識も含めてなかった。災害が起きてから避難勧告を出したり、後手後手に回っていた」と当時の状況を振り返る。
災害から20年、防災についての講演を行う際は必ず水俣土石流災害の話をしているそうだ。

水俣市・危機管理監 長谷川勝さん:
ここで起きた災害を忘れないように語り継いでいくのが大事だと思います。ことしは九州北部でも甚大な被害が出ているが、そういうことを他人ごとにせず“自分事として関心を持つ”ということが大事ではないでしょうか
20年経過“二度と災害ないように”
被災者の会 吉海寿次会長:
ことしで20年という月日がたってこれからも災害が続くと思いますが、ここでもう二度と災害がないように皆さんのご協力をよろしくお願いいたします
7月20日に、宝川内集地区では追悼行事も行われ、水俣市の高岡利治市長や遺族、地域住民など約70人が参列。慰霊碑に花を手向け焼香をするなどして、犠牲者を悼んだ。(※高岡利治市長の「高」ははしご高)

被災者の会 吉海寿次会長:
あったことは仕方がないんですよ。振り返っても元には戻らない、だから今後、こういうことが絶対にないようにやっていければなと思っています
(テレビ熊本)