長崎に原爆が投下された1945年8月9日、あの日から78年目の夏。長崎市の原爆資料館には2万を超える被爆資料が寄せられているが、これらをそのまま展示するだけでは、被爆の実相を伝えるのに限界がある。
若い世代、次の世代に伝わる展示の方法や活用の模索が続いている。

収蔵されている被爆資料は2万点

裁縫が得意だった母親が、当時15歳の息子のためにつくった防空頭巾。いつも持ち歩いていた頭巾は、一発の原子爆弾によって母親の形見となった。

資料展に展示されている防空頭巾
資料展に展示されている防空頭巾
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長崎市の原爆資料館で2023年7月11日から始まった資料展は、被爆者や遺族などから寄贈された写真や日用品など、約90点が展示されている。長い間、資料館の収蔵庫に眠っていたものもある。

長崎原爆資料館 学芸員・後藤杏さん:
物を通して、原爆の物理的な被害を語るだけでなく、市民の生活と深く密着している資料を通して、より自分事として被爆者の体験に思いをはせられるような展示にしたい

常時展示されているのは1,500点ほど
常時展示されているのは1,500点ほど

長崎原爆資料館には、1949年以降に寄贈された約2万点の被爆資料が収蔵されていて、このうち常設展示されているのは、約1,500点だ。戦後間もない時期に寄せられた資料の記録を見ると、持ち主が被爆した場所や状況など基本的な情報にとどまっている。

長崎原爆資料館 学芸員・後藤杏さん:
物から原爆の物理的被害を語るのに焦点が当たっている気がして、長崎市民一人ひとりの被爆体験、個々の体験が見えてこない

「聞かなかったら誰も知らないまま」

原爆や戦争を知らない世代にも被爆の実相を伝えていくため、長崎市は2022年から追加調査を始めた。いまの資料館が開館して27年がたち、被爆瓦を見せても、子どもには通常の瓦との違いが伝わりづらいなど、常設展示の資料が時代に合わないケースも出てきている。

調査を行う小松さん
調査を行う小松さん

これまでに資料を寄せた1,000人以上のうち、連絡先が分かった700人に調査への協力を依頼した。資料にまつわる詳細な情報や、持ち主の証言などを掘り起こすためだ。

※『爆発約十数秒後の瞬間』梅村博さん寄贈 絵は現在展示されていません。許可を得て撮影しています。
※『爆発約十数秒後の瞬間』梅村博さん寄贈 絵は現在展示されていません。許可を得て撮影しています。

長崎原爆資料館 学芸員・小松篤史さん:
梅村博さん寄贈の『爆発約十数秒後の瞬間』は、原子雲を描いている。ほとんど写真としては当時のものは白黒なので、鮮やかに色がついて「あ、こんな色だったんだ」と。描かれたときの思い、どういう状況だったのか、どこで被爆したか、そこからどういう風景が見えたのか、可能だったら聞ければ

『爆発約十数秒後の瞬間』を描いた梅村博さん
『爆発約十数秒後の瞬間』を描いた梅村博さん

2023年7月初旬に学芸員は、爆心地から約5kmに位置する長崎市戸町に向かった。原子雲の絵を描いた梅村博さんは、10歳のとき戸町の自宅で被爆した。8年前に亡くなっているため、学芸員の小松さんらは妻の久美子さんから話を聞いた。

故・梅村博さんの妻・久美子さん:
主人が時々言っていた。戸町の港の入り口に死体がいっぱい流れてきたそう。「ここから流れていかないように縄で全部縛ってつないでいた」と言っていた

聞き取りの様子
聞き取りの様子

この日の聞き取りは約1時間で、8月9日当日の体験だけでなく、被爆前と後の暮らしぶりや、家族構成、本人の趣味など内容は多岐にわたる。

故・梅村博さんの妻・久美子さん:
忘れていたことを引き出してもらった。本人から直接聞いたことは何とか覚えているけど、私は子どもたちにはほとんど話していないので、残してもらえるのは有り難い

絵と同じ構図をカメラに収める小松さん
絵と同じ構図をカメラに収める小松さん

自宅は当時と同じ場所にあり、絵と同じ構図を探しながらカメラに収める。

長崎原爆資料館 学芸員・小松篤史さん:
聞かなかったら誰も知らないまま。こういう人が、こういう思いで(絵を)描いたというのがあると立体感があって、私自身の中でも描ける像、説明に込める思いが変わってくる

証言も含めて後世につないでいく

聞き取った情報や証言は、展示にも生かされている。持ち主の人柄や暮らしぶりを伝えるエピソードのほか、説明文に顔写真も添える。

長崎原爆資料館 学芸員・後藤杏さん:
物だけ展示していてもイメージがわかないと思う。実際に資料を使用していた人の写真も含めて展示することで、特に若い人は、「被爆した人がどういう人だったのか、どういう生活されていたのか」というのを知る上ではすごく重要なこと

展示品を見る来館者
展示品を見る来館者

長年、収蔵庫の中にあった資料も新たに聞き取った話を加えることで、再び来館者の目に触れる機会を得た。

神奈川からの来館者:
親の世代は戦争世代なので、話をわずかながらに聞くことはあるが、自分たちもまだまだ知らないこと山ほどあったんだなと

神奈川からの来館者:
普通の生活をしていたものを見れば見るほど悲しくなってきて、普通に生活をしていることを奪われてしまうことが今、身近にもなくはないので、もっと見てもらえたらと

長崎原爆資料館 学芸員・後藤杏さん:
(持ち主の)被爆体験だけではなくて、被爆前から被爆後にかけて、どう生きてきたのかも含めてお伝えすることが、より重層的に被爆の記憶を後世に伝えるためには重要な作業だと思う。エピソードを諦めないでどんどん掘り起こしていけたら

追加調査を始めて約9カ月、話を聞き取れたのは100件ほどだ。記憶が曖昧だったり、そもそも追加調査の依頼に対して半分以上返信がない。資料と、今をつなぐ調査にかけられる時間は限られている。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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