熊本県内で25人が犠牲となった九州北部豪雨から、7月12日で11年となった。記録的な豪雨で土砂災害や河川の氾濫が発生した阿蘇地域や熊本市では、今もあの日の教訓が息づいている。

2012年九州北部豪雨 25人犠牲

11年前の7月12日、梅雨末期の大雨が熊本県内を襲い、特に阿蘇地方では、未明から明け方にかけて1時間に100mm前後の猛烈な雨を4時間連続で観測した。

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防災システム研究所・山村武彦所長:
(2012年の九州北部豪雨は)複数の線状降水帯が長く居座ったことが原因だった

この記録的な大雨で、阿蘇地域では土砂崩れや土石流が相次ぎ、合わせて25人が犠牲となった。
また、白川が氾濫し、熊本市北区龍田陳内では多くの住宅が濁流にのみ込まれた。

佐藤阿蘇市長「早め早めの避難を」

11年前の豪雨で22人が犠牲となった阿蘇市では7月12日の朝、市の職員など約30人が防災無線のサイレンに合わせて黙とうし、犠牲者を追悼した。

佐藤市長ら約30人が黙とう
佐藤市長ら約30人が黙とう

佐藤義興阿蘇市長:
11年前の災害というのは、阿蘇市にとって忘れてはならない大変な教訓である。早め早めの避難をしていただくということをさらに徹底をしていかなければいけない

当時の区長「命を守るのが一番」

また、南阿蘇村でも犠牲者に祈りが捧げられた。

南阿蘇村立野新所区の住民・山内博史さん:
尊い命が奪われて、その経験を自分たちが持っているので、決して忘れることなく、毎年、命日にお参りして自分に言い聞かせる。そういう気持ちでお参りした

南阿蘇村立野の新所区でも、11年前の豪雨で土石流が発生し、住民2人が犠牲となった。

7月12日は地元の住民たちが慰霊碑に花を手向け、犠牲者を追悼した。

当時の新所区長・吉野輝さん
(当時を)一日も忘れたことはない。自分たちの命を守るということが一番。行政から言われて避難するのではなくて、雨が降って危ないと思ったら避難する心構えが大事と思う

「一緒に避難しよう」近所の人の声掛けが今後も重要に

あの日、白川が氾濫し、多くの住宅が濁流にのみ込まれた熊本市北区龍田陳内。

龍田陳内に住む森園子さんの自宅も、1階部分が水に漬かった。

森園子さん:
午前6時半くらいに、近所の人から「車が漬かっている。移動しないと動かなくなるよ」と言われ、外を見たらもう家の前が川のようになっていて、家族みんなで上のほうに逃げました

近所の人の声掛けが、避難する“スイッチ”になったという森さん。線状降水帯が発生した7月3日の大雨で白川が増水した際も、近所同士で声掛けを行った。

森園子さん:
地域の方たちも、だんだんご高齢になってきて避難が難しくなってきたりするので、「一緒に避難しよう」とかそういった声掛けも大事になってくるのかなと年々思います

自治会長「防災の基本は自助、自分で守る」

また、11年前の豪雨を受け、白川や合志川の流域10カ所に警報サイレンを設置した熊本市は12日、サイレンを鳴らす訓練を行った。

北区弓削では、自治会長が事前に“訓練”を告知したあと、手動でサイレンを鳴らしたほか、遠隔操作でサイレンが鳴るかどうかも確認した。

弓削校区第一町内自治会・中村政廣さん:
防災の基本は自助ですので、身を自分で守るということの意識付けを町内としては発信していきたいと思う

(テレビ熊本)

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