島根・松江市の一畑百貨店が2024年1月14日に営業終了し、閉店することを決めた。JR松江駅前にあり、街の顔とも言える百貨店閉店の一報は、松江市民にとどまらず、島根県内の行政、経済関係者の間にも大きな衝撃となって伝わった。一畑は、島根県内唯一の百貨店。閉店すれば、全国3番目の「デパート空白県」になる。

13日夜 閉店発表 経営改善見込めず

6月13日夜、一畑百貨店が、閉店についてのプレスリリースを発表した。

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「営業終了は2024年1月14日」

大型ショッピングモールの出店やインターネット通販の台頭、さらに新型コロナウイルス感染症の影響により非常に苦しい経営環境が続いていたとし、親会社の一畑電気鉄道とも協議を重ね、テナント誘致や経営体質の改善などによる店舗継続の努力を模索したが、今後の経営改善が見込めないと判断、閉店を決断したとしている。

松江店の売り上げは、ピークの2002年3月期には108億円あったが、2023年3月期には43億円まで落ち込んだ。

従業員118人は、解雇されるが、親会社の一畑電鉄が中心となってグループ他社への再就職や、行政の支援による再就職を進めるとした。

県内唯一の百貨店で、閉店後は全国3番目の百貨店「空白県」となる。

「ショック」従業員は戸惑い隠せず

閉店が発表された13日夜、営業終了後の店内では、社長から従業員に対し、説明があったという。

説明を受けた従業員:
黒字経営に努力したけど、できなかったという説明でした。まさかと思った。ショックです

説明を受けた従業員:
いつかこのような時が来ると思っていた。長く続いてきた百貨店なので、寂しいというか悲しい気持ち

通用口を出てきた従業員は、一様に驚きと戸惑い、不安の表情を浮かべていた。

翌朝、JR松江駅前で聞いてみると、「びっくりです」「さみしくなって残念」「不便になります」と市民は驚き、閉店を惜しむ一方、「全国的には(百貨店が閉店する)そういう流れになっている。小売業の再編だから」とあきらめの声も聞かれた。

一畑百貨店・川内孝治社長:
65年間ご愛顧いただいたお客さまやファンのみなさまにはご迷惑をおかけしてしまい、残念な思いでいっぱい。おわび申し上げます

市長「まちづくりへの影響は避けられない」

従業員の雇用、そして、約1,000社ある取引先への影響など、県内唯一の百貨店の閉店は、松江市を中心に地域経済全体への影響が懸念される。

松江市・上定市長:
松江市として、地域経済に混乱が生じないように、また、従業員の方が不安にならないように、必要な対応を図っていく

国や県と連携しながら、市も独自に関係部署からなる緊急対策チームを立ち上げ、従業員や関連業者の不安の払拭に努める考えを明らかにした。

また、松江市・上定市長は「松江の中心市街地、『一等地』の旗艦店舗が一畑百貨店だったので、まちづくりへの影響は避けられない」としたうえで、今後、“街の顔”でもある駅前エリアの衰退は避けなければならないと話した。

90年代後半から売り上げに陰り

一畑百貨店は、1958年(昭和33年)、松江市殿町にオープンした。一畑電鉄の直営事業として創業し、大手百貨店「三越」と業務提携。都会的で高級感のある売り場と品ぞろえで、松江市に「百貨店文化」を根付かせた。

1982年には新館「ツインタワー」がオープンするなど、バブル景気の波に乗り、売り場を拡張した。しかし、スーパーや郊外型の大型ショッピングモールの台頭など小売業界を取り巻く環境が変化、「百貨店」の売り上げは1980年代後半から90年代後半をピークに低迷する。

駅前移転時のテープカットの様子
駅前移転時のテープカットの様子

松江市内でも、1994年、JR松江駅近くにショッピングモール「松江サティ」(現・イオン松江ショッピングセンター)が進出、一畑百貨店が立地する中心商店街の衰退も進んだことなどから、1998年、JR松江駅前の現店舗に移転した。

1998年の移転リニューアル当時は長蛇の列になるほどの来店者が
1998年の移転リニューアル当時は長蛇の列になるほどの来店者が

1998年、現在の店舗がオープンしたときの映像では、開店前には長蛇の列。店内も多くの客でにぎわっていた。

1998年の移転リニューアル当時の店内の様子
1998年の移転リニューアル当時の店内の様子

映像内では野室美佳アナウンサーが、「レストランや各商品など、山陰初お目見えのものがいろいろあるということで、今までの一畑に比べて若い人向けの商品があると思います」と、店内をリポートしていた。

地元産の商品も入れるなど多方面に力を入れていた
地元産の商品も入れるなど多方面に力を入れていた

移転リニューアルに伴って、若者向けのファッションに力を入れるなど、新たな顧客の開拓を進めた一方、島根県内唯一の百貨店として、ブランド力を武器に、贈答品の販売や全国各地の物産展などのイベントで集客を図った。

2010年代に入ると、インターネット通販が台頭。「デフレ」による消費者の低価格志向も相まって、百貨店は窮地に追い込まれていった。

発表から3日後 広がる衝撃

「閉店」発表から3日後、開店前の店の前には、常連客の姿があった。閉店すると知って、わざわざ離島の隠岐から訪れたこの夫婦は、長年、一畑百貨店でしか手に入らない食品を買い求めていたという。

常連客の夫婦:
閉店は残念。いつも楽しみに来ている。必ず買って帰るものがいくつかあったので、今後、買えるところがどこかあるのか、聞いてから帰る

県内外の取引先約1,000社にも影響が広がっている。

「一畑百貨店だけで、ざっくり8桁は売り上げがある。うちの売り上げの大きなところを一畑百貨店に担ってもらっていた」と話すのは、松江市の老舗かまぼこ店「長岡屋茂助」の社長。一畑とは、先代から50年以上の付き合いだという。

名物の「あご野焼き」など10品目以上を「デパ地下」の食料品売り場で販売し、中元や歳暮シーズンには贈答用商品もそろえている。一畑での売り上げは年間1,000万円を超え、閉店によるダメージは小さくない。

長岡屋茂助・長岡誠一郎社長:
心にぽっかり穴が空いたような感じ。一畑で購入していた客を、来年以降、どこを受け皿にして吸収できるのか、考えている

影響は、商品の納入業者にとどまらない。

オリオン工芸社・富田博之さん:
今の社長が3代目ですので、初代から一畑百貨店とは付き合いがある

オリオン工芸社は、ロゴ看板や懸垂幕、サインボードなど店舗の装飾や看板類の製作を手がけてきた松江市内の会社だ。1958年の開店以来、65年にわたって取引があり、コロナ禍前にはほぼ毎週、イベント用の看板を製作し、納品していたという。

オリオン工芸社・富田博之さん:
今まで当たり前のようにあった存在だったので、閉店となると、全く今後の予想がつかないのが正直なところ

2024年1月の閉店までは受注の見通しが立っているが、その先は不透明だ。富田さんは不安をにじませた。

「一畑閉店」の影響は、買い物の場を失う消費者にとどまらず、地域経済全体に広がる様相をみせた。

市・県・経済団体が一体となり対応へ

こうした中、6月15日、松江市は緊急対策チームを立ち上げた。島根県も緊急会議を開くなど対応に追われた。

松江市・上定市長:
地域経済が疲弊しないように、また、一畑百貨店の従業員の皆さんが混乱しないように。現状、従業員として働いている方が路頭に迷わないよう、関係者と連携して取り組みたい

従業員118人の再就職対策を最優先に位置付け、国や県と連携しながら対応する方針だ。また、島根県も、緊急対策会議を開き、従業員の再就職や取引先の事業者の支援などに、関係機関と連携して対応することなどを確認した。

19日には、一畑百貨店と親会社の一畑電気鉄道、そして、松江市、島根県、経済団体などのトップが顔をそろえた。

一畑電気鉄道道・足達明彦社長
一畑電気鉄道道・足達明彦社長

一畑電気鉄道・足達明彦社長:
一畑百貨店の閉店に関して、みなさまに大変なご心配をかけ、申し訳なく思う

19日には、各団体のトップが集まった
19日には、各団体のトップが集まった

地域経済への影響を最小限に抑えるため、従業員の再雇用や取引先の事業者の支援などに、各機関が連携してあたることを確認。松江市の上定市長も「地域経済への悪影響や雇用の不安をできる限り排除し、この難局を乗り切っていきたい。一丸となってオール松江、オール島根で取り組みたい」と訴えた。

官民一体の支援体制づくりを急ぐ。

(TSKさんいん中央テレビ)

TSKさんいん中央テレビ
TSKさんいん中央テレビ

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