岩手・盛岡市のシンボル「盛岡城跡公園」は、見事な石垣に藩政時代の名残をとどめているが、天守や二階櫓(やぐら)などの建築物は残されていない。これを復元しようと、盛岡市では最大1000万円の懸賞金をかけ資料を求めている。森尾絵美里アナウンサーが、盛岡市による市内の老舗店舗の蔵の調査に同行した。

老舗和菓子店の蔵2階を初の本格調査

森尾絵美里アナウンサー:
住宅街にある蔵に来ていますが、ここで何を探しますか?

盛岡城復元調査推進室・花井正香文化財主査:
今調査していて、盛岡城や盛岡藩に関する資料

森尾絵美里アナウンサーと盛岡城復元調査推進室・花井正香さん
森尾絵美里アナウンサーと盛岡城復元調査推進室・花井正香さん
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今回調査するのは、盛岡市で江戸時代に創業した和菓子店の蔵。蔵の調査をするのは、盛岡市で蔵の調査を担当する盛岡城復元調査推進室・花井正香さんだ。

盛岡市は2022年9月から懸賞金最大1,000万円をかけ、これまで約30の蔵や家を調査してきたが、有力なものはまだ見つかっていない。

森尾絵美里アナウンサー:
1,000万円の価値のある宝が出るかも?

盛岡城復元調査推進室・花井正香文化財主査:
調べてみないと何とも言えないので、あるかもしれない

2階部分を詳しく見るのは、蔵を所有する男性も初めてだという。真っ暗な中階段を上ると、ほこりをかぶった棚や木箱が眠っていた。この中から公園が開園する前の明治39(1906)年より古い盛岡城の写真は見つかるのだろうか。

盛岡城復元調査推進室・花井正香文化財主査:
明治19年。お膳のセットだと思う

調査開始直後から古いものが見つかった。期待が高まる中、より丁寧に探す。

森尾絵美里アナウンサー:
巻物がいっぱいありますね

盛岡城復元調査推進室・花井正香文化財主査:
軸物ですね。こういうものに盛岡城の絵が描いてある可能性もあります

掛け軸をゆっくりと開いていくと、描かれた年代や作者も分からない作品が多く出てくる。他にも、大正時代に撮影された家族写真や卒業写真が出てくるが、盛岡城が写っているものはなかなか出てこない。調査開始からあっという間に2時間が経過した。

江戸時代中期の古文書を発見!?

午後からは“助っ人”に来てもらった。

助っ人は、岩手めんこいテレビの土曜日の情報番組「山・海・漬」で“城博士”としておなじみのかみやまひとしさん。日本城郭史学会盛岡支部長を務めていて、盛岡城にとても詳しい人物だ。

かみやまさんは早速、蔵の中で古い文書を発見し読み進めていく。詳しい内容は公開できないが、なんと江戸時代の中期に書かれたものだった。

日本城郭史学会盛岡支部長・かみやまひとしさん:
こちらにとっては大事な資料なので、お座敷で保存した方がいい

さらに、床に落ちていた漆塗りの器を発見した。裏には金色で描かれた南部家の家紋・向鶴が6カ所に入り、豪華な装飾となっている。

日本城郭史学会盛岡支部長・かみやまひとしさん:
きれいな蒔絵(まきえ)の器。盛岡城で使っていた器の可能性もなきにしもあらず。ロマンを感じる逸品

森尾絵美里アナウンサー:
こういうものが家に眠っているというのは、ご覧になっていかがでしたか?

日本城郭史学会盛岡支部長・かみやまひとしさん:
正直びっくり。身近なところに案外気づかず大切な資料が眠っている可能性がどこの家でもあるかもしれない

昔の盛岡が描かれた「かるた」も発見

今回は残念ながら盛岡城復元の根拠となる資料は見つからなかったが、最も古いもので江戸時代中期の古文書、そして盛岡城で使われていた可能性のある漆器が出てきた。

他にも盛岡の商店や建物が描かれた、かるたが見つかった。

かるたに描かれた盛岡劇場
かるたに描かれた盛岡劇場

1913年に開館した盛岡劇場や150年以上の歴史がある百貨店・川徳が絵札となっている。作られた年は分からないが、電話番号は3桁。昭和より前のものと考えられる。

蔵や情報を知る人は減少 調査が急がれる

市は盛岡城跡公園を市民にとってより魅力的な場所にするため、復元に向けた調査を進めている。

盛岡城復元調査推進室・花井正香文化財主査:
盛岡城に関する建物が1つ2つでも復元できれば、それをシンボルに市民が盛岡城にこういう建物があったと感じてほしい

一方、蔵やその情報を知る人が少なくなる中で、資料を見つけるのは今後さらに難しくなると調査を急いでいる。盛岡市では、1906年より古い盛岡城の写真・盛岡城にかつてあった建物の設計図などがあれば資料を提供してほしいと呼びかけている。

(岩手めんこいテレビ)

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