満蒙開拓団員の語り部がまた一人、この世を去った。長野県豊丘村の久保田諌さん。壮絶な「集団自決」の経験を語り、平和の尊さを訴えてきた。戦後78年、久保田さんのような悲劇を体験した人は年々減少し、記憶のリレーが課題となっている。
久保田さんは14歳の時に満州へ
6月5日、93歳で亡くなった久保田諫さん。8日、地元の寺でしめやかに葬儀が営まれた。
満州移民を考える会・本島和人さん:
とても大切な方が亡くなられた。言いようのないものがあります。本当に悲しい思いをしています

壮絶な「集団自決」の経験語る
久保田諫さん(2020年取材):
残念でたまらない。こんなに平和な日本が残っているなら、なんで早く死んでしまったか。悔やしくてたまらない
久保田さんは元開拓団員。広大な農地に胸を踊らせ14歳の時に、一人で満州に渡った。

しかし平穏な日々は長く続かなかった。
翌年の旧ソ連の参戦と日本の敗戦。
土地を追われ、逃避行の中、追い詰められた団員たちは、わが子を、そして、仲間を手にかけていった。
「集団自決」を選んだのだ。
久保田諫さん(2020年取材):
親が(子どもの)首を絞めて、「久保田さん、手伝ってくださいよ」と…
そして、久保田さんも…。
久保田諫さん(2020年取材):
相手の肩に手をかけて殴り、交互に殴り合いを7~8回。だらんと生ぬるい血が垂れてきた。気が遠くなってきて「これで死ねるだろう」と、お互いにコロンと(気絶して)…。数時間たった後にスコールで気がついた

自身の経験を後世に
生き残った久保田さんは捕虜となり、1948年夏に帰国。
長く自責の念にさいなまれたが、自身の経験を後世に残そうと語り部になった。
久保田諫さん(2020年取材):
とにかく戦争のない世の中に。日本だけでなく世界中が戦争のない世界になってくれればいい

戦後78年。
久保田さんのような満蒙開拓の悲劇を体験した人は年々減少し、記憶のリレーが課題となっている。

満州移民を考える会・本島和人さん:
(自身の体験を)お話しできる方は本当に限られてきてる。じかに話を聞いた私たちがその言葉をどう受け止めて、次の世代に伝えていくかが大切なことではないか
満蒙開拓平和記念館・清水可晴 副館長:
いかに次の世代に歴史を伝えていくか、このことに尽きると思います。久保田諫さんの遺志を継いでやっていきたいな

久保田さんの戒名は「源拓諫忠信士」。
満州で壮絶な経験をし、晩年は語り部として信念を貫いた生涯を表している。
(長野放送)