秋田県出身の冒険家・阿部雅龍さんの夢は、100年前に南極探検に挑み、道半ばで引き返した白瀬矗(しらせ のぶ/秋田県出身)と同じルートを歩き、その後を継いで南極点に立つこと。

その夢に大きく近づく一歩として、2018年11月に日本人未踏破のルートでの南極点到達に挑戦した。

スタート地点から南極点まではおよそ900キロ。単独、そして徒歩で40日間で踏破できるはずだったが…。

後編では南極大陸で歩みを始めた青年冒険家に待ち受ける苦難と、その後に続く冒険を追いかけた。
 

【前編】「遊びがないと糸が切れる」先人の遺志を引き継ぐ青年冒険家は、“なまはげ”を持ち南極探検に挑む
 

南極大陸では自ら撮影、日々の記録を記す

南極を目指す冒険形の拠点、チリ共和国のプンタ アレーナスを出発して4時間。阿部さんは南極大陸の沿岸にある、ユニオン・グレイシャーキャンプに降り立っていた。

ここからさらに飛行機でメスナールートの出発地点に移動。南極点までは918km、これは東京から佐賀に相当する距離だ。

標高2850mの高さまで、装備や食料を詰み込んだ重さ110kgのそりを引きながら単独徒歩でのぼっていく。

1日平均22km以上を歩き、40日で南極点に到達する計画だ。阿部さんにとって初めての南極冒険はたったひとりで、記録撮影も自ら行う。

「現地時間11月23日午後5時。南極点到達に向けてスタートしました。360度地平線です。めっちゃ楽しみたいと思います。行くぞ、南極点!」

冒険初日の日記には

“現地時間、23日17時。南極大陸海岸線から110kgのソリを引いて歩き始めた。すでに夕方だったので、2時間のみ歩いてキャンプ。気温は体感マイナス23度、僕にとっては快適です”

と書かれている。

「11月24日、2日目です。ホワイトアウト。そんなにひどくないホワイトアウトですね。360度真っ白な世界にいると酔いそうです。地面も何も見えないんですよ。
自分がどこに進んでいるのかはコンパスだけが目安で。これを1日、きょうは2日目なんで控えめに5時間歩きますけど。これを40日間続けるのか。景色変わらないな、本当に。何も見えない」

11月27日、5日目の日記。

“現地時間27日、5日目。テントの中の温度が0度より高いので、暖かい。マイナス20度以下の外に出るのは僕でもやはり面倒くさくなる”

「朝すげえ風が吹いていて、テントから出たくねえなって感じだったんですけど。太陽がホットになって、けっこう暖かくなってきた。きれいですね」

平均気温マイナス30度という過酷な環境の南極大陸。沿岸を離れ、内陸に進むと、そこには生き物も植物も存在しない。

見渡す限り、何もなく、どこまでも真っ白な大地を、そりを引いてひたすら前に進む。
 

ホワイトアウトで停滞が続き、焦りも

時折、休息を取ってバターやサラダ、ナッツなどで栄養を補給する。

「とにかくこの食事というのはもう超高カロリー、超油を摂るので。慣れるのに時間がかかる。気持ち悪い」

11月29日、7日目の日記。

“現地時間29日、停滞日。昨日の夜から完全なホワイトアウト。10m先が見えない。まったく見えないので停滞に決めたが、何日間も停滞していられない”

「12月2日、10日目です。ブリザードが来ています。3日前も停滞だったんですけど、このままだときょうも停滞せざるを得ない。焦るなあ。少しでも回復を待って、視界が良くなって風がもうちょっと弱くなってくれば歩きたいなと思っているんですけど、何とも言えない。割り切るしかないですね。天気は天気、仕方ない。逆らってもしょうがないものだから。歩きたいなー」

この日の日記。

“午後になって少し視界が良くなったようで、急いで撤収して歩き出すが、すぐにホワイトアウト。何も見えない。たまに自分が何をしているのか分からなくなってくる”

「12日目。何日だっけ、わからなくなってきた。4日です。完全にきょうもホワイトアウト。天気の悪い日ばっかで参ります。伸び悩んでますね、距離が」

全身を阻んでいるのは柔らかい雪。この年は例年に比べ雪の量が多く、降り積もった柔らかい雪にソリが埋まってしまう。後半から徐々に距離を伸ばしていく計画とはいえ、阿部さんの表情にも不安の色が漂い始めた。

「ソリがめちゃめちゃ重い。腰がさ。ハーネスと腰の付け根が擦れて、超痛いの」

12月4日、12日目の日記。

“8時間の徒歩でクタクタ。テントを設営するのが億劫で仕方ない。ヨロヨロしながら設営”

「テントの設営の雪かけるのがもうしんどくてしょうがない。家作るのも大変だよ」

テントの設営と撤収にかかる時間は合わせて1時間。これを毎日繰り返す。

「南極クッキング。どんなものを食べているか、紹介します。

オートミールを100g入れます。そして南極の主食バター。このまま食べたりもしますよ、油が必要だから。このバター、でっかい塊ひとつ50gを2つ入れます。バター100gです、オートミール100gに対して。これにお湯を注ぐ。お湯を注いで、あとは数分待つだけです。超簡単。これが毎朝の定番ですね。

決しておいしいとは言えないんですけど。いただきます。油の味だね、バターの味しかしない。食べて頑張ろう」

「12月7日、14日目です。15日目か。15日目でした。ようやく標高1000m越えました。
標高を上げるにしたがってちょっとずつ雪が固くなってきてるので、ペースは伸びていくのかなと思っています。なかなか距離が伸びなくて苦しい、踏ん張りどころ。
悪いことばかりじゃないと思うんで、頑張ろう」
 

柔らかい雪にソリが埋まり、遅々として進まず

「12月8日、16日目です。はあ、ソリが重い。標高1000m越えて、少しは気温下がって楽になると思ったんだけど、ソリが埋まっちゃって。わかりますか?」

「重くて重くて仕方ないです。自分がブルドーザーか除雪機になった気分ですね。あ~、もう全然進んでないな」

12月9日、17日目の日記。

“現地時間12月9日、17日目。ペースは伸びるのだろうか。雪が非常に柔らかくソリの腹が雪を擦っている。引くためのハーネスが肩と腰に食い込む。重労働に発狂しそうになる”

12月11日、19日目の日記。

“現地時間12月11日。19日目にして最も遅いレコードを記録。荷物は初日より20kg近く減っているのにだ。きょうも1度も触らずに必死で8時間歩いている。苛立ちと焦りが募る。
新雪が積もりほとんどソリが引けない。全力で引いても動かず、前のめりに何度も顔から転ぶ。その度に唇を噛む”

「雪の柔らかさが本当に尋常じゃないです。
このままだと、50日分の食事を持ってきたんですけど、食料すら尽きる可能性がありますね。今、時速1kmしか出てないんですよ、雪が深すぎて。
見てください、この長いスキーをこうやる(地面に刺す)と、ここまで埋まります。押せばもっといっちゃうけど。いいですか、これぐらいまで埋まるんですよ。ほら」

「だから頑張っても8時間歩いても、8kmくらいしか今進めない。全力で行ってるのに。間に合うか、これ」
 

迫るタイムリミットと食糧…苦渋の決断

実は南極点到達には期限がある。このシーズンの南極点のベースキャンプは1月16日で閉鎖されるため、それに間に合わなければ、その場で飛行機にピックアップされ、そこで冒険は中止になってしまう。

12月19日。
冒険開始から27日目のベースキャンプとの交信。この日は、日本人スタッフが応答した。

「今持っているフードと燃料があと23日分なんですよ。ポール(南極点)はそれ以内に着きたいなと思っているんですけど。今回は補給をしないノーリサプライでやるつもりなので、そこの期間でなんとかいけないかなと思ってるんですけど。ただけっこう積雪で捕まってしまって、行程が遅れていて。
1月16日までですよね。それまでには着きます。着かないとそもそも食糧がなくなるんで」

今までに27日間かけて歩いた距離は350km。残りの距離は550km。南極点到達までのタイムリミットはあと28日。食糧は残り23日分に。

予定していた40日での南極点踏破は、すでに不可能になっていた。

しかしどうしても、南極点にはたどり着きたい。

大きな決断を迫られていた。

12月23日、31日目の日記。

“31日目、食糧補給地点を通過。
一般的にここで補給を受ける。僕もここで補給を受けることにした。この決断をするのは楽ではなかった”

「本当はこんな予定じゃなく、もっと全然余裕で到達できる自信があったし。

この寒さだったりとか、この南極の状況というのも充分に僕が対応できる実力を持っているんですけども、なぜこうなったか。わからない。

残り、全然ペースは伸びてないんですけど。残りできることをやるしかないかな、と思っています。絶対にたどり着かなきゃいけないので。やるべきことを毎日やるだけかなって思っています」

補給を受けてからは天候が一転、寒波が襲う。

しかし、それまで柔らかかった足元は固くしまり、1日に進める距離も大幅に伸びるように。ここからは時間との戦い。映像を撮る余裕がなくなっていた。
 

ついに念願の南極点到達へ

12月27日、35日目の日記。

“現地時間12月25日~27日。距離の伸びを感じる。ようやく雪が降らない日が増えた”

阿部さんの表情にも明るさが戻ってきていた。

1月5日、44日目の日記。

“現地時間1月3日~5日。南極点まで、あと243km”

1月11日、50日目の日記。

“現地時間1月9日~11日。南極点まで、あと106km”

そして…。

「南極点が見えます。55日の孤独と、マイナス44度にもなる極寒の中で、歩いてここまでやってきました。子供の頃から憧れの場所に、本当に自分が来てるんだなって。もうすぐ着くぞ、南極点」

現地時間2019年1月16日午後6時20分、南極点到達。
幼い頃からの夢、そのひとつを達成した瞬間だった。
 

帰国、そして地元秋田へ。報告したのは…

2019年1月26日、成田空港。
南極点到達から10日後、阿部さんの姿は、日本にあった。

「これは凍傷。だいぶ痕消えたんですけど。こっち(右頬)は全然ないんですよ。南極って風が僕の斜めのこっち(左)から降ってくるから。だからこっちだけが凍傷になっちゃって」

笑いながら話す阿部さんの顔には、過酷な冒険のあとが刻まれていた。

地元秋田に戻り、白瀬の墓前で南極点到達を報告。

徒歩による単独での南極点到達を果たした阿部さんだが、無補給という目標は果たせなかった。

心残りはなかったのか−−。

「あの時はすごく悔しくて。とにかく自然が理不尽。通常の状態だったら、自分が定めた期間で無補給で行けるはずだったし、南極点に立ったから言えるんですけど、実際行けたと思います、普通に。

でも現実はそうじゃなかった。

まずは南極点に立たなければいけない。でもどんどん食糧が無くなってきて、確実に無くなるのは目に見えていた。過去に単独無補給をやった人もいるんですよね。だから僕はどこかで、その人やその事に対する対抗心でやっていたのかもしれなくて…。

でも自分の意地を通すよりも、今僕がやるべきなのは白瀬さんの夢を実現するために、1度南極点に立つことじゃないかなと。

『つまらないプライドのために、本来やるべきことを見失っちゃいけない』ということを僕は今回の南極で学ばせてもらいました。僕のメンタル的にも技術的にも経験的にも、たくさんのことを学べたんですよね。

逆に言うと、白瀬さんのルートがもっと近くなった。想定していたより。

だから強がりじゃなく、今僕は悔しいじゃなく、心の底からよかったと、そう思ってます」
 

青年冒険家の挑戦は続く

2019年4月。

阿部さんは新しい旅に出ようとしていた。今度は人力車を引いて、東北六県を歩くという。

「世界の果てに行くんだったら、そもそも中も知っておかないといけないかなって。だから日本と世界の両方を今、継続してやっているんですよ」

南極冒険を終えてからわずか3カ月。休む間もなく、次の冒険に挑むのには理由がある。

「一回足を止めると、人間って動けなくなるから。スイッチオンにし続けないと。だからチャレンジを続けるんですよ。人間だからね。チャレンジするクセをつけていないと無理なんですよね。止まると、チャレンジって大変だから」

一歩一歩、夢に向かって着実に歩み続ける阿部さん。

これから挑戦する白瀬ルートでの南極点踏破も、きっと成功するはずだ。

「できれば一生(夢を)追いたいなっていうふうには思います。そういう自分でいたいなってところは大きいですよね。

たとえ白瀬ルートの人類未踏の南極点(踏破)をやったとしても、まだまだ夢を追い続けたいし。そういう、夢を追う男であり続けることが、個人的な生涯の目標です」

夢を追う男、阿部雅龍。目が離せない。