岩手・花巻市にある施設で暮らしているアート作家・小林覚(さとる)さん。自閉症の覚さんは、文字をつなげ絵のようにデザインする「サトル文字」で注目を集め、家族と共にその世界を広げてきた。覚さんを包み込むまなざしの足取りをたどる。

注目のアーティスト 小林覚さん

2022年10月、新しくできた盛岡バスセンターを訪れたのは、小林覚さん。この日は父の俊輔さん、母の眞喜子さんと共にホテル・マザリウムに宿泊だ。

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案内された部屋はベッド・枕・カーテンなど、それぞれが覚さんのアート作品で彩られている。

覚さんの父・俊輔さん:
オシャレですね。いろいろ作品を使ってもらってすごくうれしい

覚さんの母・眞喜子さん:
感動です

――この部屋に来て楽しいですか?

小林覚さん:
楽しいです。(自分の作品の)お布団が好き

この部屋は、知的障がいがある人たちのアート作品を様々な形で世に送り出す「ヘラルボニー」が手掛けた。覚さんはいま、注目のアーティストだ。

子育ての失敗と言われることも

覚さんは現在、花巻市にある施設・ルンビニー苑で暮らしており、週末は釜石市の実家へ。自閉症の覚さんは自分のルールに沿って行動する。心を落ち着ける、覚さんなりの暮らし方だ。

3人きょうだいの末っ子として生まれた覚さん。子育ては悪戦苦闘の連続だったと母・眞喜子さんは話す。

覚さんの母・眞喜子さん:
覚は落ち着きがなくて乱暴だった。どうしてこうなの?しつけしないの?とよく言われていた

時に、子育ての失敗と言われることもあった。そんな中、眞喜子さんの心の支えになったのは、大槌町で暮らしていた妹の小國悦子さんだった。

覚さんの母・眞喜子さん:
独身だったので、覚を我が子のようにかわいがっていた。覚のイベントにはいつも妹を連れて行っていた。妹は一緒に行くのを楽しみにしていました

支え合いながら暮らす日々。その日常が一変したのは、2011年3月、東日本大震災だ。

覚さんの母・眞喜子さん:
泥の中に半分埋まった家を見て、覚は直視できなくて。うずくまって「お家壊れちゃったね」と言って下を向いていた。その様子がとてもかわいそうでした

覚さんが「えっこ姉ちゃん」と呼んだ悦子さん、そして祖母の小國ツネさんは行方不明になった。

覚さんの母・眞喜子さん:
1カ月以上、遺体安置所を回って頑張って探しましたが、見つけることができませんでした。残念でなりません

「たくさんの人たちに喜んでもらえてうれしい」

時は流れ2022年7月、覚さんは文字をつなげ絵のようにデザインする「サトル文字」で注目される存在となった。この日もたくさんのファンを前に堂々とペンを走らせる。

来場者:
東京の方から(来ました)。アートも好きですし、お人柄も大好きです

覚さんの母・眞喜子さん:
子育てで苦しんでいた頃と今は全然ちがいます。たくさんの人たちに喜んでもらえて私たちもうれしいです

東日本大震災から12年を迎えた2023年3月。ツネさんと悦子さんはいまだ行方不明だ。

覚さんの母・眞喜子さん:
覚の現在の活躍を2人は喜んでくれていると思う

いま多くの人たちが覚さんと手を携えている。えっこ姉ちゃんと同じ、温かななまなざしと共に。

(岩手めんこいテレビ)

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