松尾夢華(まつおゆめか)さん、18歳。

中学3年生の春、骨のがん「骨肉腫」を発症し、腫瘍が見つかった左足を切断。
抗がん剤治療、義足の生活、そして再発…。
試練は幾度も襲ってきた。

それでも現実を受け入れ、前を向いて必死に生きていく。

日本では現在、2人に1人がガンにかかる時代だといわれている。病気は誰にでも、いつふりかかってくるかも知れない。もしその状況になったときどうするか。


後編では、高校に通い始めた夢華さんと、スポーツで県代表にまでなりながらも、襲ってくる病と戦う姿を追った。

【前編】中学3年で骨のがん「骨肉腫」を発症。少女はそれでも笑顔で前に進む

 

高校への初登校と、出会った車椅子バスケ

2016年7月。
骨肉腫を発症し左足を切断、長く続く抗癌剤治療など、1年1ヶ月に及んだ入院生活を終えた夢華さん。

この日は待ちに待った、入学式以来の高校初登校だ。

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「皆さん、お待たせしました。入学式から約3か月、やっとこの教室に歩いてくることができました。
辛い抗がん剤治療、左足の切断、そしてまた、つらい抗がん剤。あまり思い出したくありませんが、とてもつらく、きつい入院生活。高校受験をし、中学校を歩いて卒業できたこと。そして入学。それから3か月、ここにこうして登校できたこと。手術よりも不安でいっぱいです。

病気で左足を失った私です。抗がん剤で髪の毛がない私ですが、ここにいるみんなと同じ15歳の普通の高校生です。
今日までの目標は高校に行くことでした。今日からの目標は、クラスの仲間と楽しく高校生活を楽しんで一緒に卒業することです。
普通の目標ですが、私にはみんなの倍以上頑張らないといけないことです。

でも一生懸命頑張ることで、私は病気に負けないで今日まで来れました。これからも一生懸命頑張ります。皆さんどうか、よろしくお願いします」

クラスメイトたちは、同い年で病と戦ってきた夢華さんの話を真剣な眼差しで聞く。
初めての挨拶は大きな拍手で迎えられた。

その後、夢華さんは学校の教室で授業を受けていた。
そんな当たり前のことが1年2か月ぶりのことだった。

退院から5か月。
体調もいい夢華さんは、新たな挑戦を始めていた。
それは車椅子バスケ。

「できることは何でもしてみたい」

それが夢華さんの思いだ。
 

再びがんが見つかる。「痛い、痛い」夢華さんの悲痛な叫び

しかし最初の手術から1年3か月後、再び、がんが見つかってしまった。

母親の南美江さんもやりきれない表情だ。

「再発が無いってちょっと思いかけた矢先だったのね。こんなに早くとは思わなかったかな。なんでね、夢華だけねって思いますね」

父親の俊之さんも噛みしめるように複雑な思いを話す。

「まだ何があるかわからない。たまたま今回見つかったけど。まだ何があるかわからん。一歩一歩進むだけ。ゆっくり」

南美江さんは「おひさまは必ず登るから」と、自分に言い聞かせるように口にした。

2017年1月。
今回の手術も最初の手術をしてくれた宮田医師らだった。久しぶりに会う先生に、不安な心を隠すように笑顔を見せる夢華さん。

腫瘍が見つかったのは、左足大腿部の骨の中だ。
その骨を取り除き、人工関節を入れる手術は約7時間続いた。

術後、「足痛い、足痛い……」と何度も口にする夢華さん。
悲痛な叫びに、両親や医師、看護師が心配そうに見守る。

宮田医師は、手術の結果は良好としつつも、「みんなが心配しているのは、やっぱりまた転移とか。今のところは消えているけれども、心配なんでね。できることを僕らは最大限にやるということしかできないので。僕ら外科なので、できたらとにかく取る」と、何が起こるかわからないこの病に全力で共に立ち向かう姿勢を見せていた。

病室を訪れていた姉の百華さんは、がんという病に対する印象が変わったという。

「今までがんは遠いイメージだったけど、こんなに身近で起きるんだなあと思った…」

忙しい中来てくれる貴重な姉との時間に、夢華さんは満面の笑みを見せていた。
 

ボート部に車椅子バスケ。病気を乗り越え活躍するもまた…

2018年5月。
これまでに3度の手術を行ない、がんと闘ってきた夢華さんも、高校3年生になっていた。

この3年で友人もたくさんでき、なんと部活動も始めたという。

「ボート部に入ったのは運動したかったから。ずっと1年生のときから先生が言うとった。ボート部入らんかって」

彼女を誘い続けたボート部顧問の中島教諭は、
「彼女もせっかくだんだん色々な事ができるようになってきてるから。やっぱり高校3年間で部活動は大きいんで。マネージャーじゃなくて選手でやれる競技、ボートがいいんじゃないかなと思って」と話す。

ボートの乗り降りも一人で行い、手慣れた様子だ。

夢華さんは、コックスと呼ばれるボートの舵取りを担っている。
船を直進させることはもちろんのこと、レースの組み立てや声かけなど、こぎ手に安心感を与える重要な役割だ。

この日の練習でも大きな声を出し、進む方向を見られない仲間に支持を出していた。
 

翌月、夢華さんの姿は、長崎県で開催される県高校総体の会場にあった。
闘病中は、想像もしていなかった高総体への出場。

もちろん家族も応援に駆けつけていた。

「まさか出られるとは思わなかった。この高総体に選手として出場できてね。夢みたいな話ですね。夢華はやっぱり恵まれていると思う。それは本人が持っている何かがあると思うんだけど、たくさんの人に応援してもらえるしね」

母親の南美江さんは夢華さんの周囲に感謝する。


高総体から3か月が経った2018年9月、この日も父の運転する車に乗って学校に向かっていた。

実は夢華さんは、この1か月前にがんの再発が見つかり、4度目の手術を行った。しかし高校生活最後の体育祭には出場したい。そんな思いから久しぶりの学校へと向かった。

クラスメイトが綱引きや応援合戦をする様子を、テントの中から笑顔で見つめる夢華さん。
彼女のTシャツには「一病息災」の文字が書かれていた。
『1つぐらい病気をしたほうが、かえって健康に気をつける』という言葉を選んだのだ。

クラスで踊るダンスでは、クラスメイトが夢華さんの腕を引っ張り、持ち場に連れて行く。仲間との思い出はやはり格別だ。


そんな友達と楽しそうな過ごす姿とは別に、真剣な表情で激しい運動をする一面も彼女は持っている。

それは、2年前に出会った車椅子バスケ。

夢華さんは中学の頃キャプテンを努めるほどだったバスケット経験をかわれ、全国障害者スポーツ大会の車椅子バスケ・長崎県代表に選ばれていたのだ。

先輩に厳しく指導をされながら、全国大会までの短い期間、濃い練習を重ねていく。

2018年10月、夢華さんの全国大会出発の日に自宅に訪れると、慌ただしく出発の準備が進められていた。

父・俊之さんに話を聞くと、「娘は凄いなと思います。最初の手術からまさかここまでって感じ…」と、驚きを隠せない様子だ。

4度の手術を乗り越え、長崎県の代表として、各都道府県の代表と戦うのだ。

翌日、娘の活躍を一目見たいと、片道約930km、13時間の道のりを、家族で応援に行く。

初戦は強豪、東京都。

家族は翌日に仕事が入っていて、どうしても長崎に戻らなければいけないため、初戦での出場を期待していたが、夢華さんは残念ながらベンチスタート。

次の日の北海道との試合。
夢華さんに出場のチャンスがやってきた。

車椅子バスケのルールは、一般のバスケットボールとほぼ同じで、コート上には5人が出場。男女の区分はない。
試合中に車いすが転倒した場合は、自力で起き上がらなければならない。

 北海道の選手とぶつかってしまい転倒してしまった夢華さんも、何とか自分で起き上がり、その後なんと初シュートも決めた。

チームメイトの西田聡さんもその活躍を認め、これからの成長に期待する。
「初めて出た試合で、公式戦でこうやってシュートをちゃんと決めるっていうのはすごいことですよ。いい一歩を踏み出せたんじゃないですか」

2019年2月5日。
この日は、夢華さん18回目の誕生日。取材を始めた頃、15歳の誕生日は病院で迎えていた。今回は自宅で迎える誕生日。
家族と友人たちが集まっていた。

皆に祝われ、笑顔でケーキのろうそくを消した夢華さんに、18歳の夢を聞いた。

「夢は走ることやね。今は、鬼ごっことか普通にできれば。
お金貯めておいしいものを食べて、いろんなとこ行きたいです。楽しいことをしたい。自分がしたいことをしたい」

15歳の頃、「まずは高校受験に合格すること。早く退院すること。楽しく生きます。あ、卒業式も!」と話していた彼女は、大人になってきていた。

2019年3月、高校卒業式の朝。
いつもと同じように車に乗り込む夢華さんだが、父親の俊之さんにとっては、娘を学校に送る最後の日だ。静かな時間が車内に流れる。

中学の卒業式では、抗癌剤治療中の感染症を避けるため、別の場所から壇上へ上がったが、今回はクラスメイトと同じ会場から壇上へと向かう。家族と目があった夢華さんは照れ笑いのような笑みを見せていた。

卒業式の記念に、両親へ宛てたメッセージには、感謝の言葉が綴られていた。

「送り迎えや弁当を作ってくれてありがとう。やりたいことをやりなさいと背中を押してくれて感謝しています。自分の夢を叶えられるよう努力していきます。これからもたくさん迷惑をかけるかもしれないけど、よろしくお願いします」


しかし卒業式から2週間後、夢華さんは、足に痛みを感じていた。
別の場所に、がんが見つかってしまったのだ。
繰り返し訪れる病。

「外科の先生たちは前向きやけん、そこに私たちも救われている。あとはまあ、夢華がね、高校を出てしたいことをするのが一番かなと思う」と母親の南美江さん。

「本人はそのもう、『治療とかせんで好きなことをしたい』と言ってきた。『それはダメよ』と言って…。『私もきちっと決めてるけん』言ってたけど。
今まで夢華の頑張った姿にみんなの勇気をもらって頑張ってきたけど。次はもう、家族の力で夢華を引っ張って行くしかない。何とか…何とかなるよ。俺も絶対治るって思うとるけん」と父親の俊之さんも話す。

始めは弱気になっていた夢華さんだが、今は前向きに治療に励んでいると、両親が取材班に教えてくれた。

幾度も襲ってくる試練。
それでも前向きに進んでいく夢華さん。
家族、友達。周りの支えが後押ししている。

 

※この記事は、テレビ長崎で2019年5月に放送されたドキュメンタリーを記事の形に再編集したものです。
松尾夢華さんは2020年1月11日に亡くなられました。夢華さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

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